小説 川崎サイト

 

人間コンテンツ


 個人が経験することは僅かで、非常に多くの体験や経験があっても、思い出す機会そのものがなかったりする。さらに、もうすっかり忘れていることもあり、思い出そうとしても出てこない。かろうじて出てきても断片で、文脈としては成り立たなかったりする。
 坪内は多くのことを経験した冒険者ではない。旅行にも一人で出掛けることはない。当然人生経験も多くはないが、その一つ一つは大事に覚えている。少ないからだろう。
 一方高橋は冒険家であり、また人生経験も豊かだ。色々な仕事をしてきたし、接触した人の数も多い。そのため、交際範囲も広く、人脈も豊か。
 しかし、その殆どの人脈は死んでいたりする。その人脈の中に坪内も入っている。これは小学生の頃の同級生のためで、同じクラスで机を並べた仲。同じ町内なので、同じ中学に行くはずだったが、坪内は名門私立へ行き、坪内は普通の公立に行った。ここで別れたのだが、近所なので、友達関係は続いていた。
 要するに高橋が一番気楽に話せるのが竹馬の友の坪内で、話の受け皿だった。
 その後もこの関係は続き、高橋は自慢話や、体験談などを坪内にした。坪内は平凡に過ごしていたので、特に語るほどのネタがないので、会話の殆どは高橋の世界になる。
 後で考えると、坪内は高橋から膨大な量の情報を引き出していたことになる。そのため高橋が忘れてしまったエピソードなどを、逆に坪内が覚えていたりする。先ほどの文脈をなくしワンシーンしか出てこない体験も、坪内が覚えていたりする。
 坪内には実体験はないが、高橋から吸収していたようなものだ。しかも良いところ取りで、養分のあるところを。
 これは高橋がコンテンツでありメディアなのだ。坪内は読書から得た知識のように、そこから色々なことを学んだことになる。
 他人の人生経験を盗んだわけではないし、また盗めるものではない。ただ体験していなくても、何となくカラクリや心情が分かるようになった。
 高橋は色々な体験をしたわけだが、あまり実を結ばず、年取ってからは平凡な人になった。
 一方坪内は、良い話を色々と聞いたのだが、それを活かすようなシーンがなく、こちらも平凡な年寄りになった。
 そしてこの二人、晩年には小学校で机を並べていた頃のレベルに戻っていた。少し目先の利く小学生と、おっとりとした小学生に。
 
   了

 

 


2016年5月4日

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