小説 川崎サイト

 

老探偵沢村宗十郎


 老探偵沢村宗十郎。それは語るほどの人物ではない。しかし、この探偵のことを語らないと、この時代の怪人は語れない。探偵は怪人を追う。この古典的パターンがまだかろうじて残っていた。語りたくなくても、この人物しか現役ではいない。老いて年寄りの老探偵。それだけに現役も難しい時期に来ている。
 沢村探偵は饅頭屋二階での下宿暮らし。書生レベルから上がっていない。これは学生下宿暮らしのまま年を取ったようなものだ。何処にも飛び立てなかったように。
 しかし用は世間に需要がなければ成立しない。当然私立探偵など用はない。
「沢村探偵、猟奇王は現れませんでした」
 饅頭屋から廃業した商人宿に下宿先を移した沢村探偵の部屋に、二人の子供が遊びに来た。しかし二人は仕事だと思っている。
 沢村探偵は万年床の中で猟奇王の予告状を見ている。この光景は世間広しといえ、ここだけだろう。
 青柳屋敷のデカメ石を狙って猟奇王が現れるはずなのだが、姿を表さなかった。
 これはよくあることなのか、沢村探偵は落ち着いている。筆跡は猟奇王のものに間違いない。だから偽の予告状ではなく本物だが、猟奇王の予告状には確率があるようで、三割程度。つまり本当にやって来るのは三分の一ほど。だから、来なかったと聞いても沢村探偵は驚かない。
 長年猟奇王を追いかけているため、その生態に詳しい。
「君らも馬鹿な真似をしないで、勉強しなさい」
「それができるのなら、ここには来ません」と、こたえた五郎の方が、丁稚のような久松よりも頭が良い。しかしクラスでは最下位争いで、実際にはどっちもどっちだ。ただ、五郎の方が体力があり、力があるため、特に決めたわけではないが、少年探偵談の団長になっていた。久松は丁稚をしながら小学校に通っているため、結構忙しい。しかし、家は貧しくない。商売人の子のためで、親は若い頃の苦労こそ、商売人の財産だと言い、久松に小遣いさえ与えていない。それに店で丁稚働き。若い頃というより、まだ子供だ。これが裏目に出て、久松は別のところに憩いを見出そうとしていた。
 さて予告状だが、これは元青柳男爵から相談を受けたとき、持ち帰ったもの。青柳家は没落しているが筋を通す家柄で、怪人には探偵をあてがうのを筋とみて、沢村探偵に依頼した。
「沢村探偵、僕らに活躍の場を」
「わても猟奇に走りたい」
 難しい解説を聞いていた五郎と久松が続けざまに沢村探偵に迫る。
「猟奇王を追って何とする」
「怪人を捕まえて逆転ホームランで、クラスのみんなの鼻を明かします」
「それより五郎君、君は鼻が詰まっておろう。それを明かす方が先だ。勉強ができないのも、蓄膿のためじゃ」
「走れば、鼻も通ります」
「そうか」
「あ、あのう」久松が喋り出す。
「何かね、久松君」
「ああ」
「どうした」
「何を言おうとしていたのか、忘れてもうた」
「そうか。今度からはよく整理してから口を開くように」
「カンニンな、カンニンな」
 堪忍して欲しいのは沢村探偵だろう。子供と探偵ごっこをする気はない。しかし、彼はどう見ても悪人顔で、子供が泣き出すような顔なのだが、この二人は頓着しないのか、よく懐いている。人見知りをする五郎も、沢村探偵相手なら問題はないようだ。それは、この老人が探偵であり、自分は少年探偵団であるというアイデンティティがあるためか、または役割がはっきりとしているためだろう。
「わしはもう年だ。この件は甥の寅次郎に任せる。君らは寅次郎に従いなさい」
「吉田寅次郎ですか」
「そんな名、よく知っておるのう」
「テレビで見ました」
「そうか、その寅次郎ではない。花田寅次郎という探偵だ」
「あ、まだ探偵がいるんだ」五郎が喜ぶ。
「ああ、あのう」と久松。
「あのうの先はないんだろ。久松ちゃん」
「う、うん」
「この予告状を持って寅次郎のところへ行きなさい」
 久松が受け取り、着物の懐に差し込んだ。
「何処におられるのです。その探偵」
「探偵事務所に就職すると言っていたので、もうすぐ連絡が入るはず」
 五郎は頷く。久松は大事そうに胸を押さえ、脇を締め、予告状が落ちないようにした。
「五郎ちゃん」
「うん、久松。やったぞ」
「うん」
「嬉しいか?」
「おお」
 二人は目を輝かせた。虐げられ、辛いばかりの小学校生活。そこから抜け出せる光明を見た。
 しかし、それは大きく社会人から逸脱する道でもあった。

   了


2016年5月6日

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