小説 川崎サイト

 

大年峠の六地蔵


 山道の怪談。これは最近のもの。大年峠のバス停前に地蔵が六体並んで出るらしい。そんなところに地蔵など立っていないのだが、それを知らない人なら、不思議とは思わない。しかし、何度かそこを通るドライバーなどは、これはおかしいと気付くようだ。
 竹村はその話を聞き、思い当たることがあったので、ドキッとした。それは故郷の話だ。
 村入りとか、置き場とか言われている場所がある。
 昔は馬車道、荷駄道とも呼ばれていたが、その街道に出るには、村から山道をかなり歩かないと出られない。その道は今でいえばハイキング道程度。
 つまり街道までは徒歩以外の交通手段はなかった。村人が町に出るときも、この街道まで見送ったり、出迎えたりする。山間部の街道だが、昔は荷駄程度は通れた。つまり車両だ。
 しかし、村へは荷駄は入れない。そのため、街道近くにできたのが置き場で、荷駄の荷物を置く場所。ここから村まで荷を背負って、小出しに運んで村に入れる。だから、村入りとも言われた。村への入り口だ。
 竹村が子供の頃は既に村への長い山道も舗装され、車両が通れるようになったが、街道、今は県道だが、その脇にある建物が怖かった。村入り時代のものがまだ残っており、その番所に住んでいる人や、売店などがあった。番所は荷を見張るためだ。
 街道脇の村入りには村人が立てた石仏などがある。これはマジナイようなもの。村の境界線などによくあるのだが、この村は孤立しており、その入り口は街道脇なので、そこに置いたのだろう。
 街道と村とは標高差があり、村の方が低い。村に入るときは下り、出るとこは上りになるが、荷駄が入れなかった時代は階段があった。車道は以前の道と重なるように通っているのだが、無理なときは迂回し、別のコースで村へと入る。トンネルもある。
 竹村が遊び場にしていたのは、この古い道で、もう使われていないので、廃道。そのため、整備はされていない。
 竹村が上の学校へ行くため、都会へ出た頃には、もう置き場も草に埋まってしまった。村入りの置き場にあった六地蔵はまだ残っていたが、どうしてこんなところに、それがあるのか、初めての人なら分からないだろう。
 その六地蔵も県道拡張のとき、立ち退きとなったのだが、何処に運ばれたのかは竹村は知らない。村にいる両親も知らないとか。
 子供の頃、竹村は花などを供えた覚えがある。これは親に言われてのこと。
 だから、たまに出るらしい六地蔵は、それだろうと、竹村は思っている、消えた六地蔵が彷徨っているのだろうか。
 
   了


2016年5月7日

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