小説 川崎サイト

 

動く町


 よくあるような住宅地や市街地などは似たようなもので、これといった特徴を挙げる方が難しい。町名が違う程度。当然そんな町ばかりではなく、様々な伝説があったりもするのだが、それらが形として残っていないと、ただのありふれた街角だ。
 また村のあった場所には神社や寺はあるが、よくあるような神々で、寺もチェーン店のように、宗派が違う程度。神社の形や造りも殆ど同じで、寺もそうだ。
 寺社をカメラで写しても、違いは殆どなく、何処のお寺か神社だか、見分けが付かない。
「何処へ行っても似たような景色ですなあ」
「まあ、そうなんですが、それは動いていないからです」
「え、動く」
「そうです。あなた、通りすがりとか、用事とか、観光とかで、見ているでしょ」
「ああ、そうですが」
「だから動いていない」
「え」
「静止画のようなものです」
「いえいえ、動いていますよ。生のリアルな町なので、人も通れば、車も通る。風も吹けば草木もなびく」
「しかし、滞在時間は少ないでしょ」
「一日中見ていたことも」
「それは長いが、一日でも、まだ動いていない」
「な、何が動くのですか」
「町がです」
「地盤が」
「そこまで行けば地震でしょ」
「はいはい」
「そうではなく、毎日毎日ある通りを見ていなさい。他と同じような場所でも、これが動き出し、独自の動きが起こります」
「静止画が動画に」
「そうです。しかし、一日一コマのようなものですから、動きとしてアニメのように見えるには何日、何ヶ月。何年もかかります」
「はい」
「通常、数年。長い人なら何十年の動きになります。田圃が更地になり、家が建つ。まあ、少し時間がかかるでしょ。いつもすれ違う人が今日はいない。たまに見かけるが、その後、ぱったり姿を現さない。そういう流れを、動いているというのです」
「ああ、時が」
「そうすると、町が立体的になります。毎日見ているので、細かい箇所まで見ている。見かけない子供が三輪車に乗っている。親の姿がない。最近引っ越して来た家族だろうか。先に子供が家を出たのだろうねえ。あとから親がすぐに来るはずだ。近くに公園がある。そこへ遊びに行くのだろうか。そういうのが手に取るように分かる」
「しかし、それはよくある光景でしょ。どの町にもあるような」
「とこが毎日行き交っているような町や通りでは、奥行きが全く違う。詳細さが違う。だから解像力が高い」
「人の流れまで分かるわけですか」
「町には人がいる。それらは何処にでもいそうな人で、ありふれた存在だが、一歩踏み込めば、ありふれてはいるのだが、個々の事情がローカルに回転する。知っているか知っていないかの違いで、話が違ってくる」
「町の事情に通じているということですね」
「そうすると、そこはありふれていない」
「はいはい」
「大きな声で喋りながら歩いている人がいる」
「ああ、スマホで電話しているのでしょ」
「手ぶらだ」
「じゃ、ワイヤレスです」
「そうじゃない、気が触れておるんだ」
「え」
「ずっと家の中にいる人だが、何かの拍子で、外に出たのだろう」
「はい」
「その後、その人は見かけない」
「はあ」
「同級生じゃないが、二つ下の学年だ。四十過ぎからおかしくなったが、子供の頃から妙な子だったよ」
「色々あるんですねえ」
「詳細を知っている。そして経過した時間も知っている。だから静止画の町ではなく、動いている町を見ないと、その町が分からない。まあ、住んでいる人なら、見続けていることなので、特別なことじゃない」
「じゃ、ありふれた町並みでも、実はそうではないのですね」
「事情を知っている程度で、まあ、よくあるようなことしか起こらないがね。お寺の住職が神社の巫女バイトと姿を消した。そういう含みで、その寺を見ると、景色が違うよ」
「あ、はい」
 
   了

 




2016年5月18日

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