犬吉
村で犬吉と呼ばれる男がいる。もう中年を遙かに超えているだろう。村はずれの木々に囲まれた薬畑にいる。ここで薬草を栽培しているのだが、大して効くわけではない。
漢方医ではないが、村に医者がいないので、診てもらいに行く人もいるが、それは僅かで、そんなことでは収入にはならない。礼として大根などを置いて行かれても、一人では食べ切れなかったりする。
犬吉という変な名だが、それは呼び名で、屋号のようなもの。犬といえば犬畜生。親が敢えて犬吉と付けるわけがない。犬が付く名は悪くはないのだが、吉がいけない。これでイヌキチとなり、畜生味が増す。しかし犬のお産は軽いらしく、それとも関係がある。
犬吉が得意なのは腹痛の薬とかそういうものではない。香水のようなもの作っている。匂い袋だ。ただ、あまり良い匂いはしないようだが、これは別のところで効く。
また、香木なども得意で、焼くと良い匂いのする木を探す。しかし、香木として売り出すほどのものではない。これは違うことで役に立つ。香を焚いていないと、やってられないような。
要するに遊んで暮らしているようなものだ。犬吉は流浪の人で、この村にいつの間にか棲み着いたが、田畑はなく、住む家も村人の家々から離れたところに建てている。小屋のようなものだが、結構小綺麗。
さて、この犬吉の本領だが、年老いて亡くなったとき、それが発揮された。
犬吉の墓として大事にされている。供花や線香の匂いが絶えない。まるで、忠臣蔵の四十七士の墓のように。実際には南総里見八犬伝に近い。
先にカラクリを言えば、この村の庄屋、また有力者、大きな農家、またその他多数の家々。さらに役人までが犬吉を供養しているのだ。なぜなら父親のため。
子ができない。そう言うことだ。
そんなとき、犬吉のところへ行く。香水や香木、良い匂いが必要なのは、そのため。さらに薬草の殆どは、そのためのもの。
当然跡取りがいない家では養子を取ればいいのだが、やはり実の子に継がせたい。
犬吉は普通の顔立ちで、何処にでもいそうな顔。これが特徴がありすぎる顔だとまずい。そして性格は大人しい。身長体重も平均的。
しかし犬吉の種であることは、当然隠している。普通に産んだ夫婦の子として普通に育てられる。知っているのは母親だけ。
子供ができない女房の場合、当然妾が産むので問題はない。ただ、既に跡取りもいるのに、犬吉の子も混ざっていたりする。
犬吉が亡くなる前から、見舞いに来る村人が多かった。いずれも犬吉の子なのだ。それは犬吉の子に共通したホクロがあるためだろう。
だから犬吉の子供だらけ、さらにその子も加えると、犬吉の血筋はものすごい勢力になる。
そして今も、犬吉の墓として、しかりと残っている。
了
2016年5月20日