小説 川崎サイト

 

山開き


 巨峰ではないものの、冬には山頂に雪をかぶることもある。
その山開きが初夏にある。この時期から登山客が増えるのだが、登山と言うよりハイキングだ。高く険しい山ではない。
 山の入り口、そこに寺の奥の院があり、その横に小さな祠がある。山開きのときだけ、その祠前に人が集まる。山開きの行事だ。こんな行事は昔はなかった。登山客が来るようになってから始めた。
 別に山開きなどしなくても、真冬でも人は登っている。立ち入り禁止の個人の山ではない。しかし、他の山が山開きを始めたので、この山でも山開きの行事を作った。
 この行事は山の神様への挨拶だ。登る人が多くなるので、よろしくね、程度の挨拶。
 幸い、この山には昔から神様がいる。山の神と呼ばれているだけで名はないのだが、お峰さんと呼ぶ人もいた。山の峰のことだ。その峰の形から、山の名ができたりする。また麓の人は山と言わず、峰と呼んでいた。
 この山は呼び名が複数あり、古い地図では御峰山となっている。修験の山大峰山ではない。お峰山だ。それがいつにまにか峰山になった。おを省いたのだ。実際にはお峰さんで、さんは山ではなかったのだ。神さんのさんだ。山田さんのさんだ。
 人の名で呼ばれていた山。だから、それは山の神様の名でもある。しかし、単純な名だ。このお峰さんの御神体が奥の院横の祠にある。ただの石に縄を巻いたものだ。それを板で囲んで、祠とした程度のもの。
 この岩ほどの石が山の神様ではない。お峰さんがこの石に入っているわけではなく、ショートカットだ。つまり山の神様と繋がっている石で、この石にアクセするとコンタクトが取れるということだ。
 山に向かい、山開きの挨拶をしてもいいのだが、ただの樹木しか目に入らない。山は漠然としているし、視界の前は全部山なので、この岩のような石を山と見立てて行事を執り行う。山全体が神なら、木や山道や、雑草や枯れ葉まで含まれてしまい、踏んづけることになる。だから、象徴が必要なのだ。それも扱いやすい。
 それで、この石が山を代表することになった。確かに山から運んできたもので、山の一部ではある。
 土地の人は山の頂上まで登るような用事はないので、子供以外は滅多に登らないのだが、ハイキング客が多く来る。その安全を祈る。つまりお峰さんにお願いするのだ。山に人が入りますが、よろしくと。
 このお峰さん、謂われも何もない。かろうじて名があるだけでも、大したものだが、山の名と同じなのだから、これも芸のない話だ。当然伝説もない。石を祭りだしたのは余所者が山登りに来るようになってから。だからお峰石も明治の初め頃に山から持ってきたのだろう。
 今年も山開きの行事が執り行われ、それは年々豪華になる。修験者スタイルの人が、今年も一人増えた。巫女さんも来ているが、これも村のオバサンだ。この日のために、巫女服や修験着を仕立て上げているのだ。実はネットでも売っているのだが、年々人数が増え、コスプレ大会になっている。
 また、山開きは三日あり、フリーマーケットが出る。ガレージセールのようなものだ。
 このフリーマーケットのため、山開きが三日に延長された。初めは数時間ですんだのだが。
 年々、この山開きは、村のイベントとして盛り上がり、派手になっている。
 
   了



2016年6月11日

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