小説 川崎サイト

 

白い着物の幽霊


「ボロアパートが集まっているような場所でしてね。もとは何だったのか知りませんが、あまり良い場所じゃなかったんでしょうねえ。少しだけ地盤が低いというか、雨が降れば水捌けの悪い、じめじめした場所です。それで幽霊なんですがね。これは誰だか分からない。白い着物の女性で、髪の毛が長い。括ったり結ったりしていない。洗い髪じゃなく、そういう髪型なんでしょうねえ。そういう風にカットしてある」
「その幽霊が出たのですか」
「噂では聞いていましたが、私のところに出るとは思ってもいなかったのです。アパートは六畳一間。そういう部屋が廊下を挟んで並んでいます。ドアと窓が並んでましてね。この窓は内側、つまり廊下側で、外を向いていない。その窓の下は流しがある。一寸したものなら、ここで作れます。小さな炊事場ですが、六畳の間に少しだけ板の間を付けた程度、水道が来てますからねえ、足の踏み場だけは板の間です」
「で、幽霊は」
「部屋というより、その内側の窓に出ました。共有の廊下ですから、部屋から見ると、外に近い。誰でも出入りできます」
「何階ですか」
「二階です。下の玄関で靴を脱がないとだめですが、集金人もここまで来ます。牛乳配達も、新聞配達も」
「はい」
「その窓は廊下に面していますから、当然磨りガラスです。中は見えない」
「でも幽霊は見えたと」
「一枚、少しだけ角が割れてましてねえ。そこから覗いていました」
「誰ですか」
「噂では、このアパートができる前の話になるようですが、最後はレンコン畑だったようです。だから、建物などなかった。その前は知りませんがね」
「はい」
「レンコン畑と、その幽霊が関係するかどうかは分かりません。しかし、幽霊がこのアパートに出ることは、不動産屋や大家からも聞いています。だから安いのです」
「折り紙付きのアパートですねえ」
「そうです。百パーセント出るとか」
「それは逆に珍しいです」
「痩せたお婆さんの場合もあるとか」
「キャラが違いますね。じゃ、複数の幽霊が」
「私が想像するには、何かいることは確かです。専門家はこれを地縛霊とか、地霊とか呼んでいるようです。その場所にいる幽霊です。他には行きません。建物は関係ありません。その場所です。何が建とうと、そこにいる。だから、レンコン畑も関係がないということですよ」
「はい」
「その幽霊が出たのは深夜の一時。私は見た瞬間すぐにドアを開けましたよ。そして廊下を見ました。誰もいません。さっき割れた窓から見たのですから、まだいるはずなのに。でも、もしいたら、逆に怖いですがね。それよりも」
「何ですか」
「真っ暗」
「夜ですからねえ」
「ぽつんぽつんと、廊下の上に裸電球が灯っていますが、これが便所の一ワットで、暗い。それよりも」
「何かありましたか」
「どの部屋も真っ暗」
「夜中の一時ですから」
「いや、朝方まで電気がついている部屋、これは作田さんですが、その他にも、二時や三時までは、部屋から明かりが漏れています。浪人も多いですからねえ。勉強中です。また、テレビからの明かりがチカチカしていたり、ラジオやレコードが小さく鳴っていたりします。それらが一切死んでいるのです。怖いですよ。幽霊が出たばかり、心細いですよ。誰か起きていると思って廊下に出たのですが、死んでいる。どの部屋も真っ暗。そんな夜もあるんでしょうねえ」
「それで、どうなりました」
「それで終わりです。その後一度も見ていません」
「じゃ、何だったのですか。まさか誰かの悪戯」
「私が思うに、これは髪の毛の長い白い着物の女幽霊。これは私のイメージなんです。古川さんも見たらしいですが、こちらはゾンビのような爺さんでした」
「ウジャウジャいますねえ」
「いや、一人でしょ」
「え」
「老婆でもなく、爺さんでもなく、白い着物の女でもなく、それぞれがイメージとする幽霊像を見ていたのです。というより、そういう風に見せられていたのですよ」
「はあ」
「錯覚なのですか」
「違います。見せられていたのです。だから、幽霊の姿がまちまちなのは、そのためです」
「じゃ、本当の姿は」
「そんなものはないのでしょうねえ」
「しかしその幽霊、私向けのイメージだと分かったとき、怖くなくなりました。だから、引っ越しもせず。まだ住んでいます。それょりも」
「何ですか」
「あの幽霊を見た夜だけ、他の部屋が真っ暗だったことの方が本当は恐ろしいのです」
「あ、はい」
 
   了


 


2016年6月15日

小説 川崎サイト