小説 川崎サイト

 

岳童


 岩木岳はごつごつとした山で、岩場が多くあり、そこを素登り、つまり道具を使わないで、猿のように登りに来る人もいる。三メートルほどの岩でも、これは登るのに苦労する。
 その麓は何もないが、川を少し下ったところに古い村がある。一番岩木岳に近いところにある村で、田畑もここが限界のようだ。
 その旧家に岳童の写真がある。明治時代のものだろう。タケワロウと読む。一種のモンスター、妖怪だ。座敷童子は有名だがその山岳版。山童でもいいのだが、こういう言葉は呼び方が先にあり、あとで漢字で記したりする。
 この岳童、猿ではないかと言われている。しかし粗末ながらも衣類をまとっている。山男、山爺は大人だが、岳童は背が低く、そして童顔。だから、童顔の大人ではなく、最初から子供だろう。猿にしては頭が大きい。見事な才槌頭だ。
 この怪物は上流の滝にいる。村人も、そこまでは行くが、その先へは行かない。当然それは昔の話で、今はクライマーがその滝を登ったりしている。また、滝の上に注連縄を張る行事も残っていたが、今はない。これは結界だ。ここから先へ行ってはいけないというより、山のものが出てこないように、封じているのだ。川伝いに下ってこないように。
 猿に着物を着せても、やはり猿だ。猿回しの猿を人間と見間違えるはずはない。顔に毛が生えているし、二足歩行はしないだろう。それに手も足も毛だらけ。つまり毛ものとすぐに分かる。だから、猿ではなく、やはり人だろう。
 その写真を所有している旧家は、外人が写したガラス原板を一枚もらったらしい。この家に滞在し、岩木岳の探検に出たようで、そのお礼だ。だから、この原板そのものも怪しい。
 それよりも、この地方には座敷童子の伝説が残っている。実際に家の中で見た人もいる。その座敷童子が山に入ったのではないかということだ。だから山童なのだ。
 この旧家には流石に座敷童子の写真はないが、肖像画はある。簡単な絵だがやはり不気味だ。頭が異様に大きく、年寄りのように見える。これは赤ちゃんの顔がたまに老人に見えたりするのと似ている。たびの絵師が聞き書きしたようだ。
 座敷童子は家に福をもたらせると言うが、そうならなかった家が座敷童子を山に捨てたのではないか。
 結界のある滝、その下に祠があり、岳童が祭られている。その顔は童顔で、頭が大きく、目鼻は下の方に固まって付いている。小さな子なら、そんなレイアウトだが、その誇張が大きい。
 座敷童子といい、岳童(タキワロウ)といい、実際は何だったのだろう。
 
   了


2016年6月18日

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