小説 川崎サイト

 

暑行


「また暑い季節になりましたなあ」
「夏ですからねえ」
「しかしあなた、この暑いのに、よく歩いていますねえ。用事じゃなく、散歩でしょ。健康のための日課のような」
「この季節は暑行です」
「諸行無常の」
「いえ、冬は寒行、夏は暑行です」
「秋と春は」
「普通の歩行です。これも行なんです。歩くことが行なのですよ」
「でもただの散歩でしょ」
「暑いとき、寒いとき、そう思わないと、やってられませんよ」
「そこの角にいる滝田さんは座行ですか」
「ああ、角に椅子を置いて座り続けていますねえ。いつ見てもいますねえ。あれも行なんでしょう。雨の日は傘を差して座ってますし、今は日傘を差して座っておられる。あの人は歩くより、座りの行なんでしょうねえ」
「座禅とはまた違う」
「そうです。椅子ですし、それに疲れてくるのか、かなり深く座っています。ホームゴタツの座椅子で、首だけ当てるように、沈み込んでますよ」
「でもあの椅子、クッションがないでしょ。堅そうな木の椅子。あれはゴミに出すまでは座布団のようなものを使っていたのでしょうねえ。あれは学習椅子です。おそらく」
「滝田さんに比べ、私などは行が浅い。炎天下に日傘だけでじっと座っているのが、如何に苦しいか。私は帽子だけですが、歩いているので、変化がある。風もある。日陰もある」
「熱中症は大丈夫ですか」
「滝田さんは何も飲んでおられない。水筒など持ってきていないようですが、たまに家に戻って、休憩するのでしょう。私は日に二回、滝田さんのいる場所を通りますが、いつもいるが、いないときもある。だから、一日いるわけではなさそうです」
「あなたも水分の補給が大事でしょ」
「暑行と言いましても、一時間も歩いていませんよ。だから、私も水筒は持ってこない。荷物は負荷です」
「しかし、お二人とも行として表に出ておられる。これは何ですか」
「ただの散歩じゃつまらんですからね。それに暑いやら寒いやらで、出るがが嫌になる。当然身体の調子が悪いときもあるので、出たくない。そんなとき、これを行だと思えば、出やすくなる。苦しみに行くようなものですからね。寒行より暑行の方が苦行になる」
「滝田さんも、そんな考えなのでしょうかねえ」
「さあ、聞いたことはないけど、座行も悪くはない。私はじっとしてられないたちなので、無理ですがね。同じ場所でじっと座っていると、色々な人が通り過ぎるでしょ。それを見ているだけでも飽きないのかもしれません。家でテレビを見ているよりもね」
「じゃ、座り番のようなものですか」
「ああ、通学中の立ち番みたいなものかもしれませんねえ」
「そういえば、私が昔住んでいた村じゃ、バス停近くの店屋の横で、じっと座っているお婆さんがいましたねえ。あれと同じかも」
「いますいます。地蔵盆の祠の横にじっと座っているお婆さんとかも。あれはそのまま板で囲めば、生地蔵のようなものですよ。近い位置にいます」
「ところで滝田さんは足が悪いのですか」
「いえ、すたすた歩いているのを、見たことがあります」
「座行と、歩行、これは別れるのですかな」
「定点観察タイプか、ウロウロするかの違いで、似たようなものでしょう。ただ、歩行に比べ、座行の方が私は難しいと思いますよ。特に炎天下や、真冬は。歩いている方が風もあるし、寒いときでも身体を動かしている方がましです」
「あ、向こうから足立さんが来ましたよ」
「ああ、あの人は車行でしょうかなあ。歩いているのを見たことがない」
「自転車行ですか」
「そうです」
「その違いは」
「これはですねえ、座行の発展型で、座して移動する。しかも自転車なので、遠くまでいけます。歩行よりも楽です。だから、初心者ですよ」
「じゃ、難度が高いのは座業の滝田さん」
「そういうことです」
 
   了


2016年6月22日

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