小説 川崎サイト

 

方墳のある家


 古墳というのは群れをなし、古墳群としていくつか点在している。そのため、一つだけポツンとあるのは妙だが、時代により、そんなこともあったのだろう。ただ、その地に古墳を作るとなると、土地の人達との関係もある。
 また、名もない小さな古墳もあり、誰の墓なのかはもう分からない。
 その地方の古墳群の規模はそれほど大きくなく、埋葬者も豪族で、その後、名をなした一族ではない。そこにポツンと一つだけ小さな古墳が混ざっている。これは古墳群の中の一つだと思われていたのだが、実は違うらしい。この古墳だけは身元がはっきりとしており、その子孫がすぐ近くに住んでいる。
 古墳群を作った一族が消えてからすぐの時代で、そのため、最初は、これが一番新しい古墳で、その後、古墳は作られなかったので、最後の古墳だと言われていたが、これが間違いなのだ。
 その小さな古墳、本当は真四角なのだが、見た目は円塚。今はこの古墳の上にお稲荷さんが祭られているが、人の家の庭だ。そういうことは珍しくない。古墳のあった場所が村の共同墓地になったり、神社になった例はいくらでもある。
 むしろ、その古墳ができたた頃から、ずっとそれを管理している子孫がいる方が珍しい。内部の調査はされていないが、古墳を作った一族がまだ健在で、今日まで続いているのだから、名家だろう。古墳時代後期から続いている家柄だ。しかし、歴史に名を残すような人は出ておらず、誰も注目などしていないし、一族の末裔達も、あまり気にしていないようだ。
 実はこの一族、帰化人で、石工の一族。職人集団が住み着いたものだが、人種は分からない。インドのさらに西だろうと言われている。
 石に関する技術を伝えに来た人達は多い。この古墳のヌシは石切りや、石組みではなく、石を彫るのが得意だったらしい。加工する側だ。
 ただそれは古墳時代までの話で、石工を家業とする末裔はいない。その後、この地に土着し、ただの百姓になった。ただ、庄屋を何度もやるほどの豪農だ。石工の集団なのだが先任者が多くおり、あまり仕事はなかったので、早いうちに切り替えたのだ。
 そして古墳時代に作られたという神像が残っている。この一族の宗派色が強い像で、当然日本人の顔ではない。
 中近東の神様に近いようだが、その子孫は顔立ちは平べったい。長い年月を経たため血が薄くなり、平らになったのだろう。
 他の国々は、この人種をヘブライ人と呼んでいるらしい。
 
   了

 


2016年6月25日

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