小説 川崎サイト

 

隠し宮


 木津はとある喫茶店で休憩しているとき「ミヤ」と言う言葉を聞いた。近くの席で話している老人達から。
 そのミヤはどうやら前後の話から「宮」のようだ。よく効くとかではなく、単にお参り場所としての話だ。そういう場所もあると。
 その席の老人が場所を説明しているのだが、分かりにくいようで、何度も道順を話している。木津は盗み聞きしていたのだが、しっかりと頭に入った。少し遠いが、たまに自転車でその周辺をうろついているため、土地勘がある。勘ではなく、具体的に分かる。橋を渡り、最初の信号を右に入り……で、大体の場所は分かった。
 木津は家電商品を物色しているときに、休憩でこの喫茶店に入った。さっさと買えばいいのだが、同じような商品があり、それをじっくりと見比べるため、カタログを見ていたのだが、どれを選べばいいのかで迷い、今日は無理だと思い、投げ出した。なくても生活上困るような品物ではない。それで、その宮に乗った。
 あの客達が行くにしても、結構遠い。車で行くのだろうか。そう思いながら木津は川を渡る。この川までの距離も結構ある。ここで半分らしい。橋を渡って最初の信号を右。橋のある道は新道で、信号を右に入った道は昔の農道のようだ。そのまま走ると川と並行して走ることになるのか土手が右手に見えている。だがしばらくすると、土手が遠のく。道が微妙に曲がっているためだろうか。周囲は普通の家で、こんもりとしたものが前方にあるのは公園だ。これは古墳公園だろう。その向こうにまたこんもりとしたもの、これは神社だろう。聞いた道順では宮とは、その神社ではないようだ。祠程度のお宮さんらしい。
 農道のような狭い道なのだが、舗装はされている。今では住宅地の中を走っているため、クルマも入り込めるが一方通行だ。
 やがて話に出てきた松の木が見えてきた。昔は田圃の中に立っていたようだ。電線とぶつかるためか、かなり切られている。
 さて、そこを左へ入るのだが、そんな道はない。しかし隙間はある。そこしか入る場所がないのだから自転車で突っ込んだ。自転車同士でも交差できないだろう。塀と塀の間、左右の家はまだ新しいのか、古びていない。小さな家がちまちまと建っているところを抜けると、祠があった。その先は行き止まり。
 これは畦道だろう。もはや道とは呼べない。だが、それらの家々を取っ払うと、田圃の畦道にあるお宮さんという絵になるはず。お参りを終えたのか、老婆がこちらに来る。自転車をかなり寄せないとすれ違えないだろう。木津は自転車を降り、老婆に聞くことにした。由来を。
 すると、これはお糸地蔵と呼ぶらしい。田圃の中から出て来た地蔵さんで、それを言い当てたのが祈祷師のお糸婆さん。つまり田の神か仏なのだろう。神には姿がないので、地蔵の姿で出て来たのかもしれない。これは案山子でもいいのだが。
 お糸婆さんはこれで評判になり、少しだけ祈祷の仕事が増えたらしい。だから、誰かに埋めさせたのだろう。
 そのお糸地蔵は畦道に置かれたが、その後、祠に入れて貰った。そのため保存状態はいい。
 喫茶店での年寄りが言っていた宮とは、この地蔵の祠だろう。ただの地蔵ではなく個性がある。謂われがある。奇跡的に残っているのは畦道が潰されないで、余地として残されたからだ。そのため狭苦しい場所にあるのだが、お参りに来る人がいる。
 昔は川沿いの田園地帯にあったのだから、すぐに分かる場所だが、今は住宅に囲まれ、それで隠されてしまった。だから探すのは大変だ。そのためではないが、隠し宮とも言われているらしい。
 
   了
  

 


2016年7月4日

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