小説 川崎サイト

 

農夫の自転車


 道行く自転車、それぞれ用事がある。目的がある。当然出発点がある。それがなければ、いきなり現れたことになる。これはこの世の自転車ではない。
 下田は目的地が曖昧だが、戻る場所ははっきりしている。自宅から出て、自宅に戻るためだ。しかとした目的地がないのは散歩のため。夏場は暑いので、夕方、少し日差しがましになった頃に出掛ける。目的があるとすれば、一寸した気晴らし。または何もないような間が欲しいためだろう。クルマなら、これはドライブだ。一応目的地はある。あの辺りまで行ってみようとか、あの町を抜けてみようとか。
 自転車でもそれがある。しかし、これは彷徨っているようなものなので、散歩に近い。これが散策になると、目的はある。見たいものがあるとか、調べたい場所があるとかだ。
 ただ、下田は近辺隈無く走り倒しているため、目新しいものはもうないが、実際には隅有りで、入ったことのない通りもある。あまりにも狭すぎるためだ。逆に大通りは何年も通っていなかったりする。車が五月蠅いので、最初から避けている。たまに通ると、こんな風景だったのかと思うほど。
 目的地はないが、戻る場所はある。そろそろ戻ろうと、ハンドルの方角を変えた。しかし帰路コースがあるわけではない。行きのコースより、戻りのコース取りの方が難しかったりする。今どの辺りにいるのかが分かりにくいためだ。そして、いきなり戻ろうと思った瞬間、ハンドルを切るので、帰路コースをそこから探さないといけない。まあ、方角さえ合っていれば、適当に走れば、いつもの道に出る。
 その戻り道、こんなところに公園があったのかと、発見の喜び、これは大したことではないのだが、トイレがある。これは知っていると、後々役立つ。その横に畑がポツンとあり、自転車に今乗ろうとしている農夫がいる。水田ではなく畑だ。自転車の後ろに何やら積み込んでいる。肥料か農薬かは分からない。服装はそれと分かる作業着。そして、さっと乗って走り出した。その先は狭い道。しかも私道となっており、車の通行を禁じている。抜けられないのではないかと下田は心配したが、農夫はスーと入っていった。これならいけると思い、農夫の後に従った。
 道に迷えば通行人に聞け。ということだが、実際に聞くのではなく、狭い道でも自転車や歩行者が行く方角へ行けば、大概広い通りに出る。そこはスーパーだったり駅前だったりする。地元の人だけが知っているケモノミチのような裏道があるのだ。
 その私道を抜けると、やはりスーパーがあった。大きな八百屋に近い。その前にバス停があり、大きな病院がある。薬局も並んでいるし、喫茶店もある。あの私道がここに出るのかと下田驚いたのだが、これもまた発見だ。世の中を驚かすような発見ではないが。
 下田はいつもの帰路コースに乗る。ここから家までの道筋は決まっているのだ。一本道ではなく、複数の筋を出たり入ったりしながら。これは斜めに伸びる道がないためだろう。そして住宅地に入り込むと抜けられなくなるので、抜けられる道を通る。これは阿弥陀籤を引くようなものだ。
 バス停から病院の裏を抜け、住宅地の迷路を抜け、少し大きな道に出たが、そこを横切ったとき、前にまだあの農夫がいる。尾行したわけではないが、前後しながら、同じ道を走っていたのだ。
 そして、もう下田の町内が見えるところまで来たとき、農夫の自転車と別れた。しかし、その先に農家が集まっており、田畑があることは知っている。そこの人だろう。
 しかし、遠すぎる。
 つまり、この農夫の農地は、ここなのだ。それなのに、二つほど向こうの町に畑があった。公園前で、私道のある場所だ。その場所も昔は村で、今でも農家は残っている。だから、あの農夫、他村の畑に行っていたことになる。
 これはあとで分かったのだが、隣村の畑で、あの人の畑ではなかった。隣村の人が調子が悪いので手伝いに行っていた。本来は水田にするところが、無理なので、畑にし、トマトとなすびを植えていた。これを頼まれたらしい。放置すると雑草が生え、それを見た不動産屋が何人も押し掛けるらしい。
 その隣村の農家、村八分ではないが、手伝ってくれる農家がいなかったらしい。それで、例の農夫が出向いたようだ。この二人は実は遠い親戚だった。
 この農夫の出発点は、下田の家の近所だ。そして目的地はかなり離れた他村の畑。ちらっと見ただけでは、作業着を着たおじさんにすぎないが、出稼ぎだったのだ。
 
   了

  

 


2016年7月5日

小説 川崎サイト