小説 川崎サイト

 

弓の家


 江戸時代の小さな藩。関ヶ原の戦いで徳川方に付いた武将が、そのまま藩主になり、江戸末期まで続いていた。その武将、大した働きをしたわけではない。そのため、どんな手柄だったのかははっきりとしない。
 江戸末期には一万石。家来と言っても百人を切っている。尊皇とか佐幕がどうのと、騒々しい時代に入り、そろそろこの藩も薩長に付くか幕府に付くかを考えなければいけない時期なのだが、その家老は、そういうことには疎い。殿様は生まれながらの無頓着というか、代々そんな感じで続いてきた。立ち回りが良かったのは初代の殿様まで。
 その家老は当然世襲で、家老の子は家老になる。もう一人家老がおり、これが次席家老。こちらも世襲だ。あとは役職はないが親族が重鎮として座っているだけ。
 家老が頼りない場合、次席家老が仕切る。この次席家老も世襲なので、当たり外れがある。だから当たった方が仕切る。しかし家老は実はやることがない。その下の奉行とかが実務を仕切っている。その奉行達も世襲だ。さらにその下も。
 幕末の動乱期、偶然できの悪いものばかりになっていた。家康から三万石を与えられたのだが、幕末には一万石になっている。しかし家来はそのまま抱えているので、財政が苦しい。世の中のことよりも、これを何とかしたい。借金が多い。それらが帳消しになることを望んだ。
 御弓衆というのがいる。鉄砲の時代なのだが、世襲なので、まだ残っている。そこの組頭が目先が利いた。しかし位は低い。だが上の方に頭は全くないので、この組頭の意見が通った。これは何段階かを経て結局次席家老の意見として。
 それは借金が帳消しなる可能性のある勢力に付くことだった。それが薩長か幕府かは分からないが、どさくさを期待するのなら薩長だろうと言うことになった。
 そして、この御弓衆の組頭が奔走し、官軍となり、明治維新を迎えたのだが、廃藩置県、つまり藩が消えた。借金も消えたので殿様は喜んだのだが、もう殿様も家老もいなくなった。この辺りにいた別の大名がその県令、今の知事になり、小藩の殿様は村役場程度を任された。
 しかし、御弓周の組頭は新政府の役人になり、江戸から東京となった帝都の元旗本屋敷で羽振りのいい暮らしをしている。
 ただ、その息子はできが悪かった。役人なので世襲ではないので、商売をさせた。当然できのいい番頭を付けて。
 それが今のあの大企業になったということではなく、平凡だが、まだ続いている。
 この会社の商標に弓が使われているのだが、矢なら分かりやすいが、弓は分かりにくいので、弓とは誰も思っていないようだ。
 
   了

 



2016年7月7日

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