旅の探偵
住宅地の中を男が歩いている。そこに住んでいる人以外は通る人は希。見た感じ、セールスマンのように見える。少し大きい目の手提げ鞄を持っているためだ。これがトランクなら押し売りかもしれないが、今時ゴム紐などをトランクに入れて売り歩いている男などいないだろう。
珍しく角の軒下に人が立っている。老人だ。暑いためか日陰に入っている。休憩しているのかもしれない。男はその老人に近付いた。
「何か困ったことはありませんか」
鳩が豆鉄砲を食らったような目、豆鉄砲で鳩を撃つ人がいたのだろうか。しかし鳩は最初から驚いたような目をしている。それに近い目で、老人は旅の探偵を見つめた。こういうのを待っていたのだ。
「探偵」
「はい」
「探偵」
「はい」
「旅の探偵」
「そうです」
こんな怪しい探偵は世の中に存在している方がおかしい。また探偵がいるだけでも結構怪しい。さらに旅する探偵となると、これはさらに怪しいというより、もうカテゴリーがない。
さらに住宅地に旅人など入り込まない。旅行先としてふさわしくないというより、見るべきものがない。
江戸時代の目明かし、捕物帖に出てくる十手持ちのことだが、これを御用聞きという。勝手口に回り、米や醤油の注文を聞きに来る人ではない。お上の御用で来た人だ。
この旅の探偵、お上の御用ではなく、困りごとの御用はありませんか、で来たようだ。新種のセールではないかと老人は胡散臭さを感じたが、実は待っていたのだ。特に用事はないが、珍しいものが見たかったのだろう。
「別にないが、あんた大丈夫かね」
「はい」
「あんたの方が心配だ。そうして旅しているのかね。泊まるところはあるのかね。この町内に宿屋などないよ」
「いえ、それは依頼者のお宅に泊めてもらうので、問題はありません」
「用心棒のようなものかね」
「はい、怪人が財宝を狙っている場合、ガードとして泊まり込み、寝ずの番もします」
あり得ない話だ、と老人は鼻を引き上げた。
「あなた、大丈夫かね」
「はい大事なしです」
「ものすごく大事なことだと思うが、何を考えておるのかね。今までそんな感じで旅をしてこられたのかね」
「今回、初の旅です」
「そうだろ。そんなもの成立せんからね」
「そうなんですか」
「まあ、こんな市街地じゃなく、草深い山里にでも行けば成立するかもしれませんがね」
「八墓明神の祟りとか」
「そうそう」
「では、僕が出た場所が間違っていたのでしょうか」
「知りませんよ。しかし、こんなところで、ややこしいことをなさらない方がよろしいかと。通報されますよ」
「あ、はい」
困ったことがあれば、いつでも手紙をください、と旅の探偵は名刺を老人に渡した。いつの時代の探偵だろう。
老人は名刺を見ると、花田寅次郎となっていた。どこかで聞いた覚えがある。人の名などそんなものだろう。そして名刺から目を離すと、旅の探偵はかき消えていた。
老人は幻でも見たのかと思い、健康を気遣った。あまり暑い日、表に出るものではない。
了
2016年7月10日