小説 川崎サイト

 

野趣の家


 高橋は怪しいものはないか、不思議なものはないか、神秘的な何かないかと街中をうろうろしているが、そんなものゴロゴロ転がっているものではない。下手をすると高橋が一番怪しいとなる。それで不審者と間違えられ、追いかけられるようなことはないが、遠くから遠巻きに見ている人がいる。これは明らかに失敗で、身のこなしが悪かったのだろう。
 塀に囲まれた細い路地で、そこへ入ろうとしていたのだが、監視の目がこれだけ集まると、流石にそれはできない。その路地の先に何があるのかは分からないが、おそらく何もないだろう。それよりも、そんなところをうろついている高橋の方が問題で、何かあると思われるだけ。
 それで日を改めて出直すことにした。地図でも調べたので、何処へ抜ける路地なのかはおおよそ分かるが、流石にこの路地は地図にはない。道ではないためだろう。隙間だ。
 こういう隙間は隣家との境界線で、少し間を開けているだけで、実際には人の家の裏庭の一部なのだ。当然一つの塀だけで区切ることもできるが、下水が流れている。これは家から出る水道などの水ではなく、雨樋からの水だろう。
 ドブと言うほどの幅はなく、十センチほど、深さも十センチ。だから樋と変わらない。
 さて地図だが、その樋のような排水路など当然載っていない。ただ、航空写真ではかなり続いているように思えるが、何せその路地の幅も1メートルほど。また、入り口から見た限りでは使わなくなった三輪車や竿竹や、桶や、石臼などが置かれている。人が通るようにはできていないのだ。樋のように雨水が通ればいいのだろう。
 そして地図ではその先はかなり続いているようだが、普通の住宅道路に達し、そこで終わっている。
 ただ、航空写真では緑の濃そうな家が一軒だけドブ沿いにある。廃屋だろうか、または放置された家なのか、庭木が伸び放題。そしてツタが建物を覆っているように思われる。これは通りからは見えない。
 その繁みのようになってしまった家は表側の道とも接していない。長屋の路地の奥にあり、ここは車は入れないだろう。ここも私有地だ。そのため表通りからも近付きにくい家だ。
 こういうのは鳥なら好きなように飛んでいけるだろう。おそらく鳥やコウモリの巣にでもなっているのかもしれない。
 数日後、高橋は服装を変え、今度は徒歩ではなく、自転車で突っ込むことにした。裏の余地からではなく、長屋の路地のようなところから。
 その長屋は長屋だけあって結構長いが、繁みの家はしっかりと見える。幸い長屋は空き屋が多いためか、人が出ていない。
 表通りから見られても長屋の誰かを訪ねて来た人に化けられる。幸い今回は町内の目はなく、誰も遠くからは見ていない。
 そして高橋は一気に長屋の路地を突っ切り、繁みの家に到着することができた。門があり、開いている。その先に母屋があるのだろうが、繁みの中だ。庭木も雑草も凄まじい。
 流石に門内に入ると、不法侵入。門に入ると、これは家に入ったことになる。通行人ではなくなる。
 後ろで気配がする。町内の人が大勢向こうから見ているのではないかと、高橋は恐る恐る振り返ると、長屋の子供だ。三輪車に乗っている。
「ここはどこ」と聞くと。「大家さん」と答えた。
 放置された家ではなく、これは大家というかこの長屋の家主だろう、その人の家らしい。だから中に人がいるのだ。
 その大家が出てくる恐れがあるので、高橋はすぐに引き返した。もう謎は解けたのだから。
 庭木の手入れをしないというのも、一種の風流かもしれない。原生林ではないものの、それに近い野趣を感じた。
 
   了



2016年7月16日

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