小説 川崎サイト

 

学僧のいる村


 明かりがすっと消えた。村人はほっとしたような顔で上を見ている。今夜は早くお休みかと。
 この明かり、山の取っ付きにあり、下からもよく見える。ただの庵の明かりだが、灯台の役目も果たしているのだろうか。夜中村内を歩くことは希だが、冬など日が暮れるのが早い。そんなとき、この明かりが目印になったりする。
 昔、そこは砦か城があった場所、そのため見晴らしが良い。上からも下からも。
 今は盛り土跡が少し残っている程度、炭焼き小屋や山入りのための小屋などもあった。そのあとに都の学僧が庵を結んだ。粗末ながらもそれなりの家だ。これは村人が建てた。年老いたため、都での仕事も面倒になり、山里で庵を結んだようなものだ。これは当然村人の協力がないとできない。歓迎されたのはいうまでもない。
 この学僧、公家の三男坊らしく、都育ちのためか垢抜けている。血筋もあるのだろう。
 しかし、年々老いが深くなったためか、最近では女衆が交代で世話をしている。学僧はそれを断ったのだが、村人は許さない。都の学僧が村にいるだけでも大したことだったのかもしれないが、別の意味もあったのだろう。
 昼間は村の子が遊びに来る。これは寺子屋のようなものだ。しかし寺子屋の師匠ではない。都の大寺院で学問を教えていたのだから、今で言えば一流大学の教授レベル。それが町内の学習塾で教えているようなものだろうか。
 夜は遅くまで明かりが灯っている。本を読んでいるのだろう。今夜は早くその明かりが消えた。先ほどからそれを見ていた村人は手を合わせ、何やら拝んでいる。
 その後も明かりが早く消える日が何度もあった。もう本を読む元気が失せてきたのかもしれないと心配する村人もいたが、実はそうではない。消えた方がいいのだ。
 しかし、暗くなっても行灯の灯らない夜は、流石に心配になり、女衆だけではなく男衆も走らせたりした。本当に寝込んでいる日もあったのだが、そうでない夜もあるのだ。そのあたりの判断が難しい。
 一人の村人が手を合わせて見ていた頃からしばらくして完全に明かりが灯らなくなった。それほど長寿ではなかった。
 しかし、その村人の願いは叶ったようだ。他でも似たようなことがあったのだろう。
 学僧と似たような顔立ちの村人が増えた。その中から非常に賢い青年が何人も現れ、村のリーダーとなった。
 学僧の晩年が短かったのは、やり過ぎたためだ。
 
   了
 

 


2016年7月19日

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