小説 川崎サイト

 

縁起が良い


 縁起がある。験が悪いとか、ゲンクソ悪いとか言う。縁起が悪いのは縁が悪いのだろう。縁の起こりやなれそめが悪いとかもあるが、「こいつは春から縁起がいいや」という縁起の良いものもある。
 験が悪い、ゲンクソ悪いは、何かをやっていて、途中で焦臭いことになり、縁起が悪かったのかと思うときにも使うようだ。最初は縁起が良かったのに、その縁の効き目があまりよくなくなったとか。縁が良いのだから、その後も上手く行くはずなのに、その効能が切れてきたのだろうか。それでゲンクソ悪いとまで言ってしまう。きっと最初はゲンクソ良かったのだろう。
 まあ、物事は途中で賞味期限ではないが、験が切れることがある。金の切れ目が縁の切れ目などもそうだ。
 当然白紙の状態で、どれを選んでも似たようなとき、縁起の良いものを選んだりする。しかし、そのときはまだ縁はできていない。見ているだけ、眺めているだけ。そこに縁を感じるかどうかは本人次第。本人の中にある何かとコンタクトがあるのだろう。繋がりのようなもの。これは抽象的だ。
 この縁とは馴染みのようなものかもしれないが、今まで馴染んでいたものではもうだめで、もっと別の縁が欲しいとき、違う縁を選ぶこともある。だから馴染みとか親しみとは関係がないのかもしれない。
 まあ、そういうことは何とでも言えることで、縁起が良いとか悪いとかも実はその部類だろう。他に説得力のある情報がないので、情報の「情」だけで判断するような。
 また縁がありすぎると臭くなる。おおよそ正体が分かってしまっているため、新たな展開が期待できなかったりする。
 ある国に、異人がやってきて、その異人が神になったりする。その異人は単なる異人種で、その世界では平凡な人でも、別のところではもの凄く珍しいもののように見える。自分達とは違う何かを持っているような。これは今でも顔立ちや体型が全く違う他国の人を見れば、その感じは残っているだろう。
 スペックや仕様では決まらない神秘的なオマケが欲しいのだろう。ただそれらも慣れ親しむと臭くなる。
 
   了

 




2016年7月27日

小説 川崎サイト