小説 川崎サイト

 

領主のいない土地


 戸数五戸、山間の更に山間、襞の更に襞にある村。村という規模ではないが、地名がある。酒井。この地に暮らしている人達は同じ家系ではない。この奥になると、もう畑も作れない。
 この酒井村落、赤城村の小字。この山間部、田畑があちらこちらに散らばっており、大きな集落、つまり農家が集まっているような場所は少ない。少し下流に盆地があり、そこは普通の村里だ。当然領主がいる。家々も固まってある。
 ところが酒井村落は長年年貢を収めていない。領主は遙か遠方の守護大名の家系で、手柄を立て、その褒美で貰った土地だ。戸数五戸の土地、しかも遠い。そんなところまで年貢の米俵を運べないだろう。また取りにも来ない。その旅費で数倍の赤字になる。それで、最初の頃は委託していた。そういう小さな飛び地から年貢を集金に回るような業者がいた。これは運送関係の集団だ。当然物騒な時代なので、護衛が付く。砂漠を行くキャラバンのようなものだ。または、近くの大きな村に任せたり、代官がいれば、一緒に貰う。
 別に年貢は米でなくてもいい。この時代、今で言う小切手や手形に似たようなものもあったが、換金できるかどうかは分からない。だから銭の方が強い。
 ところがその領主、守護職の家系だが、没落し、その後、この飛び地も忘れられた。しかし、鎌倉幕府から頂いた領地なので、その土地はまだその領主のものだ。
 酒井というのは、酒井の方という人の名から来ている。側室の一人だ。その化粧領。本当に化粧代にしかならない程度の領地。幕府から頂戴した領地を、側室に与えたのだが、その領主も側室も、そんな領地など行ったことも見たこともない。
 酒井の地は、当然大きな村にも所属しているので、そこにも年貢を払っているが、これは年貢ではない。一応大きな村の中にある村なので、生活共同体なのだ。だから、町会費を払う程度のもの。
 その酒井村落、三世代目、孫の代になっても年貢を払っていないので、裕福と言うことでもない。
 五家の家族が住んでいるのだが、村長はいないが、何となく五家で寄り合い、揉め事があれば、そこで話し合っているが、それで解決できないときは、領主は遠いので無理なので、大きな村に持ち込む。
 今までそんなことはあまりなかったのだが、そこに旅の侍が現れた。こんなところまで来るような用事がないはずなのだが、これが酒井の方の縁者だった。殿様から貰った紙切れを持っている。鎌倉幕府お墨付きの権利書のようなものだ。
 その侍、側室の酒井の方の実家の人で、今は牢人だ。酒井の方はもうお婆さんになったが、遠い山国に領地があることを、聞き、酒井家の当主になったこの侍が、そこを訪れたのだ。
 つまり溜まりに溜まった年貢があるはずだと。それよりも自分の領地があることが嬉しい。領地とは、年貢を取ってもかまない程度のもので、領主の私有地ではない。
 まあ、それを請求しに来たわけではないが、行くところがないし、仕官先もないので、ここで暮らしたいようだ。温和で知的な印象があり、村人も、悪くは感じなかった。それに始めて見る御領主様だし。
 結局酒井家の当主は、この村の殿様になった。実際には村長だが、その規模ではない。
 しかし、この侍、諸国を遍歴してきたのか、色々なことを知っている。さらに武芸と言うより、兵法学者でもあった。これは単に本を読んだ程度のことだが、その弟子が集まりだした。
 領主のいない村ではなく、後には領主の血筋の人達で溢れる、武人の村になり、大きな村にも進出し、豪族となった。
 この豪族の守り神として尼僧の木像が祭られている。化粧領の持ち主だった酒井の方を忍んで、あの侍が掘らせたものだ。その侍、老いた尼さんの顔しか知らないが、若い側室時代に似せて彫らせた。
 
   了
 

 


2016年7月31日

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