小説 川崎サイト

 

とある商店街


 その町は駅からは遠い。駅からはバスでしか行けないような場所なのだが、公団住宅が建ち、住宅地となっている。勝手に田圃を宅地化したものではなく、施策だ。そのため、一気に田圃が宅地となった。人口が爆発的に増え出した戦後まもなくの話だ。本来なら私鉄沿線などに宅地ができる。ベッドタウンだ。しかし、その町は線路から離れている。
 当然商店ができる。商店街、商店が並ぶ通りで、これはバス道を挟んで並んでいる結構長い商店街。ただ洞窟型ではなく、真ん中は車道なので、その歩道沿いに軽く屋根があり、それが先が見えないほど続いている。この商店通り、最寄り駅よりも賑やかで、店屋が多い。そのため、駅前の商店街へ出る必要がない。
 全国主要都市の周辺部、何処にでもあるような商店街だ。更に宅地化が進み、今度は施策ではなく、農家が勝手に売った土地に町ができ、そこにも商店街ができる。これは規模が小さい。それらはこの時代になると、廃墟になるか、普通の家として残っている。ただ、一階は店舗で、一歩出るとトンネル形のアーケードがある。店は完全に閉まっているので、客など来ないので、ただの暗い路地になる。しかも通り抜けられなかったりする。しかし通行人が入り込むことは、間違ってもない。小さな市場のようなものだが、入り口から出口が見えている。そのため、抜けられないことはすぐに分かる。
 それらの小規模商店街が消えたためか、施策でできた最初の商店街に客が行く。だから、多少は持ち直している。ただし、近くに大型スーパーがないことが条件だが、スーパーには売っていない品があるし、飲食店もそれなりにある。
 この施策でできた商店街、まだ生き延びているのは、このニュータウンに越してきた夫婦がまだ生きているためだ。年寄りがまだ残っており、バスに乗らなくても、歩いてでも行ける商店街なので、これが固定客になっている。流石に八百屋や魚屋などが消えたのは商店街脇にできた小さなスーパーのためだ。
 また金魚屋や、判子屋、ボタン屋などは、まだまだ健在だ。近くに百均はない。また、近くに幹線道路がないためか、その道沿いのファスト系の店もない。
 この商店街、歩道上の屋根がない店もある。これは商店街が延びたのだ。本来なら商店街の一方の出入り口だが、それが伸びている。二つほど交差点があるため、結構伸びたのだ。その先の道沿いにもぽつりぽつりと商店がある。大きな寿司屋や、ファミレスなどは、そういった外れにある。
 バス道のある場所を本通りと呼び、そこに交差する道が横に伸び、そこにも商店が並んでいる。バイク屋や焼き鳥屋などなど、あとでできたものだろう。
 ここがまだ生き残っているのは、駅前に出ても、店屋が多いわけではないためだ。駅が小さいのだ。これで助かっている。
 他にも、こういった施策によるニュータウン、また公団住宅が林立している場所の横にある商店街もあるが、ほぼ壊滅している。近くに大型スーパーや、幹線道路沿いに今風な店が並んでいるためだろう。駅が遠いのは同じだが、幹線道路の影響が大きい。
 さて、その商店街だが、一箇所だけ、恥部がある。これは見せたくないような場所だ。本通りの裏にアーケード付きの市場のようなものが増設されていた。これは後付けだろう。市場ほどの規模はないが、路地裏のような場所だ。ここのシャッターは全部閉まっている。アーケードで囲い、洞窟にしたものは洞窟に戻るのだろうか。
 また、少し離れたところにも商店街があり、そこは洞窟型ではない。屋根で囲っていない。今はただの住宅の中の家にすぎないが、よく見ると店舗跡らしきもの、または花飾りや照明用の鉄柱がまだ残っている。しかし何事もなかったかのように普通の家のように立ち並んでいる。シャッターを取り払い、普通の玄関にしているため、一見してして分からない。
 しかし、普通の家にしては入り口が広いままの家もある。目一杯の広さだ。玄関ならドア一枚分でいい。ガラガラ引くタイプでも二枚分だ。しかしドア四枚分ほどの玄関。改築費用がなかったのだろう。
 古代遺跡ではなく商店街跡めぐりはまだ生乾きで、生々しい。
 
   了

 

 

 


2016年8月3日

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