小説 川崎サイト

 

狐火


 妖怪博士が久しぶりに狐火と呼ばれている古典的怪現象について語っている。猛暑で頭がおかしくなったわけではなく、意外とそんなときの方が正体をダイレクトに射当てることができるらしい。神秘のベールも暑苦しいので薄いのかもしれない。
「分かったのですか、博士」
 いつもの編集者が身を乗り出す。しかし半分腰が引けているのは落胆したくないためだろう。いつでも引けるように。
「いや、それほど珍しい説じゃない。見間違いじゃ」
「ああ」既に落胆したようだ。
「海の怪、山の怪、里の怪、何処にでもこの狐火のような発光体が出る。人魂のようにも見えるが、大概は燃えているような形だ。だから、それで正体が分かってしまう」
「何でしょう」
「火だ」
「そのままですねえ」
「夜の海、まあ、昔の人は滅多にそんな時間に海には出なかっただろうが、これは漁り火だろう。しかしそれは明るいし多いので、違う。だから密漁だな。それが小さな船で一艘だけぽつりと出ていると、火だけが見える。または夜這いの船かもしれない。たまに煙草に火を点けたりする。それだけのことだ」
「よくある説ですよ。先生」
「まあな」
「じゃ、山でよく見かける狐火や鬼火は」
「誰もいないわけじゃない。目撃者以外の人が山に入り、焚き火でもしていたのだろう。他所から入り込んだ人かもしれない」
「はあ。新味が」
「ない」
「その他、何か意外性のあるものはありませんか」
「うっすらとした明かり、あれは提灯だろう」
「はあ」
「誰かが遠くで提灯を使っていたんだ」
「地面すれすれに移動する発光体もありますよ」
「提灯を下に下げて持っているだろ。あれは足元を照らすものだからね」
「はあ」
「こんな話がある」
「はい、聞きましょう」
「犬に提灯を括り付けて散歩に出したとか」
「放し飼いの犬なら、勝手に散歩に出ますよ。まあ、暗いので、飼い主が提灯を持たせた、いや、括り付けたのですか」
「これは脅かすためだよ。ここらは狐火が出るというのを具体的に示すため」
「それじゃ犬火ですねえ」
「大文字焼きというのはあるが、犬文字焼きはない。似ているがな」
「はい」
「実際には燐が燃えているのだろうねえ。自然現象だ」
「それそれ、それが定説ですよ。犬に提灯を付けなくても」
「まあ、狐火を見慣れた山の人は、燐が燃えていることは分かっていたんだろうねえ。そういう現象が普通にあると。それでうまい言い方がないので、色々と名が付いた。鬼火、幽霊火、青火。この青火が燐らしさを表しておる。中には狐の提灯とか呼ばれている。懐いているきつねなら提灯を括り付けることができるかもしれんが、嫌がるだろう。犬なら訓練すれば提灯を付けて普通に歩けるかもしれん」
「何か、大昔の忍者漫画のトリックみたいなものですねえ」
「まあ、それよりも、たとえ燐が燃えているにしても、薄気味悪いだろう。いつも見られるような現象ではないしね。それに真っ暗な森などに入る用事はない。だから、山で迷って、降りるとき、暗くなっていたとか、そんなときだろう」
「はい」
「江戸の末期狐火が多かったらしい」
「どうしてですか」
「マッチが伝わったからじゃ」
「はい」
「ふっと付き、ふっと消える」
「見慣れない火だったのでしょうねえ」
「暗闇の発光体。これはやはり、神秘的じゃ」
「はい」
「しかし、自然現象で火が付くとしても、それそのものが神秘的だ」
「そうですねえ。誰も仕掛けた人がいない」
「それに人が点けた火の見間違いではないからのう」
「そうですねえ」
「ここでも狐が出る。その代表が狐火。なぜ狐なのかが問題じゃ。一説では狐は口から火を噴くとある。ゴジラか」
「狸でも犬でも、狼でもだめなんですねえ」
「狐も迷惑だろう」
「油揚げが食べたくなりました」
「そうか、私はきつね寿司が食べたくなった」
 編集者は腰を引き気味に聞いていたのだが、それはいい判断だったようだ。
 
   了


 


2016年8月9日

小説 川崎サイト