小説 川崎サイト

 

無事


「事なき」ことを無事という。この事とは悪いことだろう。その事は災難のような難でもいい。難儀の難だ。無難にこなすなどは、難儀はなく、難問でもなかったのか、大事にならないで済んだ。難なきを得るというやつだ。難が無い。難に遭えば、難がある。難を得てしまう。そんなもの、欲しくはないが。
「達者でいる」は健康状態が良いと言うより、それほどきつい災難や病気や怪我にも遭わずに、無事に過ごしていることだろう。元気でいるという意味だ。また、達者というのは巧みな、という器用さもあるし、優れているという意味もある。だから無事や無難よりも達者の方が強い。この達者な人でも災難に遭うと無事ではいられなかったりする。
 無事かどうかを聞く前に、何かあったのだろう。それに対しての安否情報のようなものだ。天災もあれば人災もある。
 一難去って、また一難というのは忙しい。だから、そういう事に遭わないように、無難というのがある。これは難を予測することで、ここでの無難は未来にある。その方が無難でしょうというときの無難だ。
 大概の人はこの無難を目標にしている。その中身ではなく、難儀なこと、困ったことにならないように願う。個々の中身は分からない。
 事を起こすと、少し危険が伴うのだろう。自分にとっては良い事だが、相手にとって悪い事になったりする。
 この「事」は結構社会性があり、外への影響が大きい。事件がそうだろう。だから、事は問題があるときに使われたりする。揉め事だ。刑事にも、この事が付く。
 この事とは事柄のことで、物に対して物事があるように、物と事とは使い方が広い。だからそれを纏めて物事と呼ぶ。人や組織が関わるのだろうか。
 そんな大層な話でなくても、日常の中でも難なきを得たり、事なきを得るようなことはいくらでもある。当然、難儀なことになったり、大事になったりすることもある。大きなサイズでなくても、個人の日常内での小さなサイズでも、これは起こっている。それは個人だけで終わることもあるし、拡がりのある事柄もある。
 機嫌良く暮らす。これは大きな望みではないが、結構贅沢な話かもしれない。
 
   了

 

 


2016年8月16日

小説 川崎サイト