小説 川崎サイト

 

裏盆


 お盆のことを盂蘭盆(うらぼん)という。これは仏教が伝わり、それを広めていった推古時代から宮廷で行われていたらしいが、それ以前からこの季節、精霊や先祖の霊などとの交流のための行事があったらしい。精霊流し、果物や野菜、なすびなどに爪楊枝や割り箸のようなもので足を付けて、それを霊と見なし、あちら側へ送り出すような行事だ。しかし、この季節にやるそういったものを単にお盆といい、盂蘭盆などと大層な言い方は普通の家ではしない。さらに今では正月休みに対しての盆休みとなっている。そのため、お盆のニュースは帰省ラッシュがどうの、戻りのUターンラッシュがどうのとかになり、お盆の行事そのものも盆踊り程度になっている。
「裏盆」
「そうです。裏戎があるように、その翌日にあります。しかしこれは行事ではありません。つまり何等かの行事が終わった翌日に、その裏とも言える行事があるのですが、裏盆は行事ではありません。残留です。残り香です」
「残留」
「送り火で先祖の霊か何かは知りませんが、あちらへ戻られるのですが、その便に乗らなかった霊がいます。まあ、あちらへ行く長距離バスや飛行機があるわけじゃないのですがね。そして乗り遅れたわけではなく、出立を遅らせているだけです。まだ未練と言いますか、やることが残っていたのでしょうねえ。または気になることがあり、それを見てから行くのでしょう」
「どういう世界なのかはさっぱり分かりません」
「目に見える形があります。それがこの裏盆堂です」
「え、ここはただの地蔵盆の祠じゃないのですか」
「地蔵盆も盆、だから相性がいいのでしょう、数日ここで滞在します。まあ宿ですなあ。本来なら子孫達のいる家に滞在するのですが、もう見送りが終わった。見送られたあとなので、引き返せません。ただ、どの地蔵盆の祠でもいいというわけではありません。そこにはお地蔵様がおられますからね。そのため、お地蔵さんがいない祠に集まります。残留部隊がね」
「放置状態の祠とかですね」
「そうそう。空の祠です。そう言うところで裏盆が行われているのですよ。これはですねえ、送る側もまだ未練があり、もう少しいて欲しいと願う人がお参りに来ます。この行事を裏盆と呼んでいます」
「しかし地蔵盆などやる地域は限られているでしょ。京都の町内なんかではよく聞きますが」
「だからそれは田舎の水神様の祠でも何でもいいのです。ただしお稲荷さんはだめなようです。これは相性が悪いのです。ご先祖さんの霊とね。あれは一種の氏族神のようなものですから」
「あ、はい」
「そして、この祠、普段は放置状態です。中に何も入ってません。祭るものがないのです。石でも何でもいいのですがね。近くに信心深いお婆さんがいないわけじゃない。その証拠に裏盆の頃だけは飾り付けされ、お供え物や供花もあります。これが裏盆なのです。祠が急に仏壇になるようなものです。特に山の登り口近くにある祠がよろしいようで、霊の帰り道に当たるようです。そしてあちらへ戻らないで、ここで二三日滞在します。それを知っている人がお参りに来るのです。送り火のあとは淋しいですからねえ。この裏盆は朝からずっとやっています。祭りの後の余韻のようなものでしょうなあ」
「よく分からない行事ですが」
「いやいや、こういうものは当人達が納得できれば、何でもいいのですよ」
「しかし、そんな裏盆、本当にあるのですか」
「何事にも表があれば裏があります」
「はあ」
「あるようでないような、これがいいのですよ。これが」
「ああ、はい」
 
   了



2016年8月22日

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