小説 川崎サイト

 

俄雨


「急ですねえ」
「俄雨、通り雨だから、足が速い。すぐにやみますよ」
「はい」
「私がこのようにして雨宿りをするのは何年ぶりだろう。三年ぶりかもしれない。いや、四年ぶりだろうか。丁度、この高架下。前回もそうだった。凄い偶然だとは思わないかね。俄雨、こいつはいつ降るか分からない。降り出す気配は分かるかもしれないが、降り出すまでは雨宿りはしない。降っていないのだからね。今日のようによく晴れて暑い日、青空も出ているが、少し黒っぽい雲も浮いている。これは用心に超したことはないが、だからといって降る前から雨宿りはおかしい」
「はい」
「四年前、ここで雨宿りをした。そのときは自転車だったけどね。俄雨にしては長かった。何人かが同じように雨がやむのを待っていたが、少し小雨になったとき、飛び出す奴もいた。しかし、すぐにまた雨脚がきつくなった。あれはフライングだね。そんなことがあったのを思いだしたよ」
 無精髭の中年男が長い話を始めたが、それを聞いている青年は、もしかすると、これは長い独り言ではないかと感じた。そういう人がいる。しかし、まだ判断が付かない。
「この先に支所があるでしょ。市役所の。そこに印鑑証明を取りに行った。それが三年前か四年前の話だ。何に使ったのは忘れてしまった。もしかしていらなかったのかもしれない。何かの書類を出すときに必要だったんだが、それを出さなくてもよくなったのかもしれないねえ」
 青年はまだ判断しかねた。
「支所は年寄りが多い。来る人じゃなく、支所の人だ。昔のように偉そうに役人面する奴はいなくなったが、処理が遅い。新米も多いねえ」
 青年は屋根の樋から溢れる雨水を見ていた。そして相槌を一切打たないことにした。
「私はこう見えても、以前は青年実業家としてならしたものだよ。家も豊中に建てた。芦屋より、豊中だよ、君」
 青年はほぼ確定した。これはモノローグだと。つまり長い独り言なのだ。
「あ、雨がやんだようだね。そろそろ私は行く」
 無精髭の中年男は高架下を出た。
 青年もつられて出ようとしたが、雨はまだ本降りで、飛び出せない。
 雨はやんでいない。
 中年男は濡れ鼠のようになりながら、煙が立ったような雨の中に消えていった。
 
   了



2016年8月26日

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