小説 川崎サイト

 

地蔵盆


 地蔵盆の頃、その夕方に提灯がほんのりと灯る時刻、岸和田は川沿いの祠の前を通った。偶然だ。この道を通ることは先ずないのだが、少し枝道に入ったためだろう。それは何かの導きかもしれない。この地方では方々で、地蔵盆が行われている。だから珍しくはないが、それがいつなのかまでは覚えていない。偶然やっているのを見る程度で、今年もそれを見たことになる。
 それほどお地蔵さんを祭った祠が多いのだろう。見に行くつもりはなくても、通りを歩いていると、遭遇する。
 その日は裏道を歩いていた。地蔵盆を見るのは、今年二回目で、それは別の場所。
 しかし、その地蔵盆は不思議と無人。誰もいない。無人と引っかけるわけではないが、無尽講と似ている。これは近所の人同士がお金を融通しあう組織だ。無尽にお金が借りられるわけではないが。これを頼母子講とも言う。
「そこの人」
 無人だと思っていたのだが、提灯で隠れて見えなかったのだろう。老人がいる。
「まあ、参っていってくだされ」
「はいはい」
 この近くに住んでいる人だと思われたようだ。今はこの辺り、昔から住んでいる人より、引っ越して来た人の方が多い。岸和田も少し先のワンルームに住んでいる。たまに古い街並みを見たくて、裏道に入る。
「お地蔵さん、実は閻魔さんの化身なのです」
「あ、そうなんですが、優しくて慈悲深いお地蔵さんと、怖そうな閻魔さんとは水と油なのでは」
「いや、閻魔さんは怖い人じゃないのです。この人が一番公正中立な人です。だから裁判長にはもってこいです。悪事も見破るが、いい事をしたことも分かっていらっしゃる。依怙贔屓しない。先入観でものを見ない。客観的にきっちりと判断される。過去を見る珠がありますからね」
「あ、はい」
「だから、閻魔様の前では嘘はつけない。全てお見通し。しかし、そのお姿が怖い。だからお地蔵さんの姿になって出てくるのです。まあ、出て来ると言うより、閻魔像ではなく地蔵像を人が置くわけですがね。閻魔堂は閻魔堂として、別にありますが、やはり怖い。だから人気がない」
「じゃ、お地蔵さんも実は怖い人なのですね」
「そう露骨には出ないだけですよ。慈悲がある」
「はい」
「貸すときは地蔵顔」
「何ですか」
「お金の貸し借りですよ。それはお困りでしょう。貸して差し上げます、と来る」
「いい人ですねえ。優しいお方だ」
「ところが返さないとなると、閻魔顔になって取り立てに来る」
「はあ」
「地蔵顔と閻魔顔、これはセットものです」
「貸す側だけじゃなく、借りる側もそうですねえ」
「そうそう。借りるときはいい顔をするのに、催促されると嫌な顔をする」
「はい」
「閻魔さんはあの世へ行ったとき、真っ先にお世話になるでしょう。そこで色々と取り調べられる。お地蔵さんもあの世とこの世を?いでおられる。だから、同じものなのですよ」
「なるほど」
「まあ、ついでだから、拝んでいきなされ、年に一度のご開帳です。普段は格子が入っていて、よく見えないでしょ。それに中は暗い。地蔵盆のときだけ、格子を開け、灯明も入れていますから、お地蔵さんもよく見えます」
 岸和田は言われるままに、小さな石仏を見た。何かで白塗りされており、真っ白なお顔で、そこに子供が画いたような目鼻が付いていた。
「古いので、お顔がもう消えていますのでね、何処が目か鼻か分からないので、画いたのですよ。ただし、これは大人が画くのはだめ。子供でないとね。大人が画くと邪鬼が入ります。それにお地蔵さんは子供がお好きだ。それで無邪気な子供に画かせたのですが、これがまた絵が下手な子でねえ。あれじゃへのへのもへじですよ」
「はい、怖くなくていいです」
 閻魔や地蔵はいないかもしれないが、それらに近いものを世の人は知っているのだろう。
 
   了

 


2016年8月28日

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