小説 川崎サイト

 

西方浄土


 たまには日頃とは違うことをした方が、日頃が新鮮に見える。これは旅行に出て、戻って来たとき、日常が懐かしいと言うより、少し見え方が違うのと同じだ。しばらくするとその魔法も切れ、相変わらずの日常に戻るのだが。
「西へ」
「そうです」
「西欧」
「そこまで遠くではありません」
「西日本」
「もう少し近くです」
「何処ですか」
「西野です」
「西の野」
「いえ、あの西野町です」
「え、何処ですか」
「ここから西へ行ったところにある西野ですよ」
「ああ西野村。今は町ですか。ありますねえ。西野行きの市バスなどが出てます。幹線道路が走っているでしょ。たまに通過します」
「その西野へ行くのです」
「わざわざ」
「方角です」
「ああ、方角がいいと」
「そうです」
「それは何ですかな」
「だから、日頃とは違う行為をしたいのです」
「ほう」
「それで、西へ行く。これに決めました。そして丁度西の方角に西野という地名がある。これですよ。これ」
「しかし、どうして西ですか。北でも東でもいいじゃありませんか」
「西が好きなんです。次が南。次が北。東はあまり好きじゃない」
「どうしてですかな」
「仕事先は全部東。あまりいい印象がありません。そちら方面の都会ではなく、その逆側の西の方がいい。西側へ行く方が長閑でいい」
「じゃ、西に何か用事があるわけじゃないのですね」
「ありません。自転車で二十分もかからないでしょ。しかし、行く機会が日頃ない。だから、日頃にないことをするために西野へ行くのです。これは何処でもいいのですがね」
 思い立ったら吉日で、彼は西野へ行き、戻って来た。しかし移動距離も少なく、風景も殆ど変わらないため、日頃内の変化にとどまったようだ。
 西欧とまではいかなくても、もう少し離れないと、日頃とは違うことをやった気にならなかったのだろう。
 
   了


2016年9月18日

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