小説 川崎サイト



定期便の乳母車

川崎ゆきお



 夜中に乳母車をついた老婆が歩いている。
 腰がかなり曲がっているため、杖代わりになっているのだろう。
 閑静な住宅地で、夜中はさらに森閑としている。
 街灯の明るさで夜道の暗さは感じられない。
 老婆は黙々と歩を進めている。
 終電をやり過ごした平田もその道を歩いている。
 支線の終電は間に合わなかったが本線の駅で降り、支線の二駅分を歩くことになった。
 数カ月に一度はそんな状態になる。
 その道は住宅地を通り抜ける裏道だ。平田にとっては近道なのだが、こんなおりにしか通ることはない。
 その老婆を見るのは何度目かだ。今夜も目撃した。
 もしかすると毎晩この時間帯に歩いているのかもしれない。
 いつも同じ場所で老婆を追い抜く。そのいつもとは数カ月に一度なので、平田が目撃しない夜も歩いているのかもしれない。
 そして時間帯も支線の終電が行ったあと。
 すると、あの老婆は定期便なのだ。
 平田はいつも追い抜いてしまうので、老婆が何処へ向かっているのかは知らない。また、出発点が何処かも分からない。
 老婆の後ろ姿が近付いてきた。尾行しようにも老婆は遅すぎた。またそんな酔狂な趣味もない。もし実行した場合、老婆を襲う不審者のように見えてしまう。
 かなり近付いた。
 乳母車の中が見える。
 何も入っていない。
 やはり杖代わりなのだ。
 この乳母車に孫が乗っていたことがあるかもしれない。その孫も大きくなり、婆さんの手から離れたのだろうか。
 それより、この夜中、何処へ行こうとしているのだ。しかも毎晩ここを通っている可能性が高い。
 老婆と並んだ。
 平田は老婆の顔を見た。そして軽く会釈する。老婆は反応しない。
 もし反応すれば何処へ行くのかを聞くつもりだった。
「今晩は」
 平田は声をかけた。
 老婆の反応はない。
 平田は諦め、完全に追い抜いた。
 しばらく歩いたところで振り返った。
 老婆の小さな姿が見えた。
 平田は真っすぐ自宅へ向かった。
 
   了
 
 
 
 
 

          2007年3月28日
 

 

 

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