小説 川崎サイト

 

土民とのり弁


 下村はその日も昼寝し、起きるとコンビニへ、前日と同じように弁当を買いに行った。昼は弁当を食べる。これが癖になり、習慣となり、日課になってしまったが、昼寝をしない日はその限りではない。昼寝とコンビニ弁当がセットになっている。そして弁当は昼しか買わない。弁当が欲しいと思っても朝や夕方や夜では買いに行かない。そして弁当はコンビニと限っている。それ以外では買わない。一つの規則ができており、そのため規則正しい生活を過ごしているわけではない。しっかりとした食事をするのなら、しっかりとした食材で自分で作る方が良い。それに弁当では野菜がない。殆どない。幕の内弁当などには野菜類が入っているが、量が少ない。そして下村が買うのはのり弁に限られている。白身の魚のフライとちくわの天麩羅、野菜は桜漬けかゴボウ程度。しかし海苔弁なので、海苔が乗っている。その下には塩昆布。海の野菜だ。しかし、それでは足りない。
 下村はコンビニまでの道を歩いているとき、前日の村祭りのお神輿を思い出した。もう太鼓の音は聞こえない。年に一度、一日だけの行事なのだ。それらを担いでいる人や世話人が土民のように見えたことを思い出す。もう土民達も現代人に戻ったのか、消えてしまった。そして土民達の住処へ行っても土民らしくはないだろう。
 コンビニまでのその道、以前は田圃の中にある畦道程度の細い道だったことを近所の人から聞いたことがある。その人はお爺さんで、もう亡くなられたが、そのお爺さんの子供時代は、そんな田園風景が拡がっていたらしい。その時代なら、このお爺さんも土民だったに違いない。
 年に一度しか姿を現さない土民達だが、存在感がある。昨日今日でできるものでは当然なく、数十年でも無理。何百年もの背景がある。その重みだ。今は今風の町の下敷きになってしまったが、これが年に一度出てくる。そして、毎年毎年。
 村時代には村時代の慣わしがあったのだろう。お神輿を倉庫から出すときや、飾り付けや、その担ぎ方や順路など。昔からの仕来りのようなものをそれなりに受け継いでいるに違いない。
 下村は村の秩序というものを考えてみた。色々と決まり事が慣習化していたはず。丁度下村が昼寝後にコンビニへのり弁を買いに行くように。
 戻ってから、そんなことを思いながらのり弁を食べた。しかし、のり弁の味はのり弁の味で、ただの弁当以外のものは感じなかった。
 
   了



2016年10月22日

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