「お爺ちゃん、これは何?」
納戸の整理を手伝っていた小学生の孫の光一が聞く。新聞紙で包んだものを両手で抱えている。
弦蔵も子供の頃、同じことを祖父に聞いた覚えがある。新聞紙で包み直したのは弦蔵だ。
「それは神棚だ」
「そんなものがこの家にあったの」
「ああ、あったみたいだな」
「開けていい?」
「ああ」
光一は新聞紙を破いた。
弦蔵はその新聞紙を手に取る。
当時の内閣閣僚の写真が載っている。
「こんな総理がいたなあ」
弦蔵は古新聞を読み始めた。古臭い電気釜の広告が懐かしい。
「お爺ちゃん、これ、組み立てるの?」
「ああ」
光一は板を適当に組み合わせている。完成品を見たことがないので形が分からない。
「お爺ちゃん見たことあるの?」
「ああ、奥の座敷の鴨居にあったかな。神棚は棚なんだ」
「棚の上に、この家のようなの乗せるの?」
棚を作らないとな。もう棚はない。
「じゃ、これは家だけ」
「ああ、そうなるかな」
板の一枚に文字が書かれている。
「なんて読むの?」
「いなりだいごんげん」
弦蔵はそのとき初めて、これがお稲荷さんだったことを知った。しかしキツネの置物は見た覚えはない。
「どうして飾らないの?」
「さあ、家を改築したとき、邪魔になったから仕舞ったのかもしれんなあ」
「僕の部屋に飾ってもいい?」
「ああ」
弦蔵は神棚よりも、古新聞の広告が面白いらしい。
「この胃腸薬、今でも売ってるなあ」
光一は興味がないようだ。
「飾ってくるね」
それからしばらくして弦蔵の姉が遊びにきた。弦蔵は神棚のことを姉に聞いてみた。
「あれは、売りにきたんだって。お稲荷さんの行商よ」
「光一が自分の部屋に飾ってるよ」
「気持ち悪い子ねえ」
「ああいうものにひかれる年頃なんだ。わしもそうだったなあ」
「そうねえ」
了
2007年3月31日
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