小説 川崎サイト

 

眠りの便


「夜にかかってくる重要な電話はいやなですなあ」
「寝る前とかね」
「そうそう、くつろいでいるときね。そろそろ寝る時間なので、フェードアウトするようなときですよ。刺激物を避けてね。ところがその電話がすごい刺激物で、これは効きます」
「眠りにくいですねえ」
「あとは寝るだけ、布団の中に入るだけ、しばしこの世とおさらばのときですよ。現実世界に戻される。しかもデッドヒート状態の直中に」
「迷惑ですねえ。朝とか昼間とか、せいぜい夕方まででしょ」
「そうなんです。用件を聞くと、それほど急ぎじゃない。しかし、すごいことが起こる嵐の前らしい。夜半にかけてくるような電話じゃない」
「きっとその人、それで寝付けないので、電話してきたんじゃありませんか」
「じゃ、道連れにしたようなものだ」
「気になって眠れないので、電話をしたのでしょうねえ。それで少しは気が静まったんじゃないですか」
「おかげでその電話を取ってから頭が冴えて眠れない。いつもならとっくに寝ている時間なのに」
「では寝不足ですか」
「少しね」
「じゃ、結局眠られたのですね」
「まあ、寝たことは寝たねえ」
「どのあたりで眠りに入られました」
「え」
「どんな順序で、眠りに就かれたのですか」
「そんなこと、覚えていないよ。布団に入ってから、その用件のことで頭がぐるぐる回ってねえ。いろいろなシーンが出てきましたよ。ですから、ますます眠れない」
「はい」
「いろいろな想像をしました。しかし、体の方がそろそろ疲れてきたのでしょうかねえ、介入がありました」
「介入」
「別のことが取って代わりだしたのです」
「はい」
「旅行に出ようと思っていましてねえ。十年前に行った場所なのですが、そこが良かった。もう一度行ってみたい。そのときの思い出などが浮かび始めました」
「それが介入ですか」
「そうです。たまに例の用件もちらつきましたが、旅行ネタの方が引力が強いのか、そちらへすーと入っていった瞬間までは覚えているのですが、そのあとは分かりません。気が付けば朝でした」
「僕なら鎮静剤代わりに風邪薬を飲んで寝ますが。明日仕事なら、寝ないといけませんからね」
「それは私には逆効果でして。押し引きが激しく。起きたまま悪夢を見たりします」
「そうなんですか」
「だから、眠れなくてもじっとしておれば、眠りへ誘う便がきます」
「便」
「そうです」
「便意」
「違います。乗り物のようなものです」
「先ほどの介入と同じですね」
「そうそう。この夢の世界への便を待つことです。そのうち来ますす」
「それで夢を見られましたか」
「見ませんでした」
「じゃ、熟睡できたのですね」
「しかし、いつもより睡眠時間が短かったので、今日はだるいです」
「はい
 
   了


2016年10月30日

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