小説 川崎サイト

 

普段のこと


 同じことをしていても、アタックの仕方を変えると、変化がある。同じことができる道具があるとすれば、道具を変えると、そのときは新鮮だ。しばらく使っているうちに、やはり以前の道具の方が良かったとなることもあり、新しい道具を捨てたりする。もったいない話だが、それだけ、前の道具に価値が上乗せされる。以前使っていた道具の方がやはり良かったのだと得心がいく。それでやっていることは同じで、道具の変化はそれほどなかったりするので、相変わらずの作業を続けているだけ。
 また作業工程を変えることで、翌日からは新鮮な気分になったりする。これも道具と同じで、やはり前のやり方の方が上手く行くことが分かると、以前に戻すのだが、余計なことをしたことになるが、いつもの段取りが如何に理にかなっていたのかが分かる。理だけではなく、良い段取りだったと。
 しかし、何十年も前の道具や段取りでやっているわけではなく、何処かで変わっていく。これはやっていることの内容は同じでも、その時期の状況にもよるのだろう。急がないといけなかったり、また、もうあまりやる気がなく、簡潔にやろうとか。
 そういうことは仕事以外の日常的な事柄でも似たようなもので、同じことを百年一昔のようにやっているわけでもないし、またそれができなくなる状況もある。いつものことをいつも通りにやる方が安定しているのだが、たまに飽きたり、やる気を失ったり、または身体が思う通りに動かなくなったりすると、重い道具よりも軽い道具。手間が掛かりすぎる段取りから簡潔なものに変える。
 何も語らず、何も主義主張がない人でも、ここではもの凄く語っているし、主張したりする。そしてそれは誰かに語るものではない。
 たとえば思想的なことでも、そういった過程の中に含まれている。この場合、思想ほどには飛び跳ねてなく、ただの性格の表れだったするが、それには根が付いているため、その人にとってはリアルティーがある。
 この真理、ただの心理現象だけのことかもしれないが、好みや気分というのは、それらに先立っている。こちらの方が実は強い。
 
   了


2016年11月1日

小説 川崎サイト