小説 川崎サイト

 

不思議な階段


 ショッピングモール内にある喫茶店にはトイレがない。豊島は緊張していた。それで尿意を催したのだろう。特に重大なことで緊張していたわけではないが、色々と決め事をしないといけなかったり、その先、少し状況が変わったりするので、それを考えると身の締まる思いとなり、常に緊張感が押し寄せていた。考えなければ呑気なものだが、そうはいかない。
 その野暮用で出たついでに喫茶店で休憩していた。トイレがある場所は分かっているので、飲みかけの珈琲やノートパソコンなどはテーブルに置いたまま、鞄だけ持ってトイレへ向かった。鞄の中には実印とか、色々と大事なものが入っている。置き引きに遭い、なくすともっと面倒なことになる。
 何度か来た場所なので、トイレは分かった。モール内の本館で高い建物だ。その一階のエレベーターの奥に小さなトイレがある。あまり目立たないためか、利用する人は少ないようだ。トイレの多いモールのため、広くて綺麗な方へ行くのだろうか。たとえば濡れた手をかざせばすぐに渇かしてくれる乾燥機があったりする。それに狭いため、待たないといけないこともあるだろう。
 エレベーターの横を突き抜けると、非常ドアがあり、そこはいつも開いている。そして非常階段があるが、使われていない。トイレはその階段の下。
 しかし、よく見ると、その階段、非常階段というより、デパートなどにあるようなゆったりとした階段だ。ところがその上り口に緊急時以外立ち入り禁止となっている。軽くロープが張られているだけなので、簡単にまたいだり、潜れるが。
 トイレへはその階段横を通る。だから嫌でも階段が目に入る。豊島はふと気になった。そちらより尿意の方が先だが、この上に何があるのだろう。ここは一階だが、二階はどうなっているのかは見たことはないが、テナントが入っているはず。しかし、使われていない部屋や、昔デパートだった時代の事務所などがあったと聞いている。今はどうなっているのかは分からないが、この建物の中で、この階段だけが上れない。しかし、緩い柵なので、厳重に閉じているわけではないので、大したものはないのだろう。隠すような。
 それでも気になり、ロープを張っている杭を少しだけ動かし、その隙間から一歩階段に足を乗せた。
 その後のことは分からない。
 気が付けば床と靴を見ている。そして先ほどの喫茶店にいる。鞄もあるし、ノートパソコンも開きっぱなし。
 ああ、トイレなどへは行っていなかったのか、そう解釈するしかない。しかし居眠りをしたわけでもない。そして尿意は消えている。股に手を当てるが濡れていない。
 実に不思議な体験だ。
 
   了


 


2016年11月4日

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