小まめな人
小豆と大豆がある。これは豆だ。しかし、小まめと書くと、まめに動く人だ。まめな人だと言われる。その人が豆ではない。人だ。小まめに動く人はいるが、大まめに動く人とはあまり言わない。大まめではないが、大まかな人がいる。
これは動きのテンポや、処理能力の素早さや、何度も何度も繰り返してアタックするとかではなく、態度の問題だろうか。大まめな人は小さな動きを細々とまめにやっている人ではなく、まとめてやるような人だろうか。豆の大きさで比べれば、そんな感じだが、大まめに動いている人とは言わないので、小豆と大豆があるとすれば、ただの豆の話になる。また、小さな豆のことを「こまめ」とは言わないで「あずき」と言う。妖怪小豆洗いが川縁で洗っているあの小豆だ。アンコになる。
しかし、何となく「こまめな人と」「大まかな人」はいるようだが、それは全ての事柄ではなく、小まめになったり、大まかになったりする。これはやる気の問題かもしれない。
細々とした用事を、小まめにこなしていない人は、あるときまとめてやることになる。それが面倒なので、早い目にやるのが好ましいのだが。溜めると苦しくなる。毎日掃除をしないで、ある日、一気にまとめてやるようなタイプもいる。いずれも性格だろうか。
人はどういうことで動いているのかは、分かっているようでも分からない。ある原則があるように見えても、その原則の原則のようなものがあり、窺い知れないところまで行ってしまいそうだ。ただ、それでは分かりにくいので、単純化しているのだろう。
「小まめ」から「め」を取ると、「こま」になる。これは小さな間。小間だ。一寸した空き間時間、隙間時間のようなものだし、実際に家の中にも小間もある。茶道では四畳半以下の茶室を小間と言うらしい。
小まめに細かいこと、小さい用事なら、それこそ小間使にやらせればいい。小まめな人は、この小間使のようなことを労を厭わず、雑用でもやるのだろう。それこそ小まめに。
ここで出てくる「間」というのが曲者で「間の悪い人」とか「今は間が悪い」や「それは間に合ってます」などと、結構使われている。
最近では「空気を読む」というのが、昔の「間」に近いかもしれない。「息が合う」というのも「間」が合っているためだろう。
「間を置く」などもある。「距離を置く」でも「時間を置く」でもいい。見えるものもあるし、見えないものもある。「距離を置く」でも、物理的に離れる必要はない。接触を減らす程度。
「小まめな人」もこの「間」とも関係する。もう豆を離れて、テンポの間が短いとか。
そして、そういった間合いは、常に同じではなく、色々な条件で、間の取り方を変えていくようだ。
了
2016年11月7日