楽しいこと
楽しいもの、楽しみにしているものが先にあり、それがすぐにできること、可能なことなら先にやってしまう。楽しみは取っておいた方がいいのは、苦しいことをやったあとでの褒美のようなもの。馬の鼻先のニンジンのようなもの。
では苦しいことを後回しにして、楽しいことを先にやるとどうなるのか。次は当然苦しいことをする番。それをやっても次の楽しみは遠い。だから逆に純粋に苦しいことをすることになり、かえって集中してできるのではないかと思える。ニンジンがあると、早くそれを食べようと苦しい事柄に長くとどまりたくないので、手を抜いたり、省略したりする。早く上げて楽しいことをしたいためだ。
楽しいことが先にあり、それを楽しみに苦しいことをやり遂げたあと、その楽しいことが色あせたりする。もう欲しくなくなったわけではないが、苦しいことを成し遂げて、それで充実感に浸っているため、結構満足してしまうとかだ。
お金がないとき、欲しい欲しいと思っていた品も。いざお金が入るともったいなくて買えなかったりする。それよりも、いつでも買える状態の方がよかったりする。本当に必要なものなら別だが、これは楽しいというより、普通だろう。あって当然のようなものなので。
では苦しいことを後回しにする方がいいのかというと、そうなると、楽しいことをしていても、それが終われば苦しいことをしないと思うため、あまり楽しくないかもしれない。手放しでは。
そのかわり、楽しいことはそこまでで、諦めて苦しいことに集中できるので、逆にいいのかもしれない。
楽しいことで時間を潰す。これは何もしていないのと同じようなものかもしれない。生産ではなく消費になるためだ。
お金の消費だけではなく、時間も消費する。体力気力も、そこで消費しているようなものだろう。
苦しいことは有益なことが多い。だからそれを成し遂げれば充実感を得られる。達成感だ。これが何よりの御馳走で、別に楽しいことをしなくても、満足の質が違うので、充実する。
苦しいものは苦しい。ただ、少しだけ楽な過程があると、これが楽しい。苦しくないため、楽しいということだろう。全ての過程が苦しいのではなく、少し気を抜いてもいい過程が必ずある。
逆に楽しいことは曲者で、すぐに苦しくなる。楽しいはずのものが、何処か様子が違っていたりして、思っていた通りの楽しさにならなかったりする。むしろそれで苦しんだりする。
苦しいことといっても気の問題が多い。苦しいことだと決めつけているのだ。実際にそれは厳しいものだが、大袈裟に言えば地獄の中にも極楽がある。そういうのを探しながら苦しいことをやるのも、一興だろう。
了
2016年11月10日