本朝怪異拾遺集
旅の雲水。雲水は旅をしている坊さんなので、旅をするのは常態で、珍しくも何もないが、たまに疲れて長逗留していることもある。そういう雲水が語る怪異談があり、これが切れるまで滞在を延ばせたりする。つまり、世話になっている家での延長が可能となる。千夜一夜物語のようなもので、面白い話を毎夜することで、殺されなくても済むということだ。ただ、この雲水の場合、別に殺されるようなことはないが。
千夜となると三年ほど。流石にそこまで延長できないし、怪異談も百話近くになると二番煎じ三番線痔になり、もう出がらし程度の話しか残っていない。そのためか、嘘を語ることがある。見聞した話ではなく、その雲水の創作ものだ。雲水というのは禅僧でもある。あの禅問答や座禅などで有名だ。
落語の起こりはこの坊さんがお寺でやる話がルーツだともいわれている。分かりやすいように身振り手振りを加えたり、声色を変えて複数の人物を演じたりとか。
さて、その旅の雲水。旅をしなくなって久しい。することはするが、長逗留できる場所までの移動だ。そして得意は怪異談。その殆どは中国に昔からあるような話が多い。そういう読み物が伝わってきており、それがタネになっている。それも切れてきたので、創作ものを始めたのだ。丁度新作落語のように。
しかし怪異談というのはパターンが大凡決まっており、それほどのバリエーションはない。それを言い出すと人情ものもそうだし、任侠ものもそうかもしれないが。
当然この雲水。百物語程度のレパートリーは持っており、それを越えて千話近いオリジナルを持っている。怪異拾遺集と題し、小さなネタでも大きく膨らませたりしている。当然フィクションだとは言わず、実際にあった不思議な話を拾い集めたことにしている。
これが少しは評判を呼び、その雲水も有名人になった。そのためか、滞在期間中は大勢の観客が来るようになる。これは本意ではなかったようだ。何となく長逗留したいだけなので、そんな大がかりな興業だと、すぐに旅立たないといけない。
そのため、別の名に変えた。
その旅先の宿場町で、似たような雲水がおり、この雲水も話がうまい。
それでその滞在場所で、話を聞いてみると、自分が作った創作ものをそのままやっていた。取られたのだ。
しかし、聞いたことがない話も混ざっていたので、逆にそれを取った。
怪異談の取り合いというより、交換だろうか。そういうのも含めてその雲水が晩年に記した本朝怪異拾遺集は大正時代に活版印刷され、今でも古書店でそれなりの値はしている。ただ、文学性に乏しいためか、評価は低い。
了
2016年11月13日