小説 川崎サイト

 

日照り雨


 何かの都合でか、晴れているのに雨が降り出している。誰も傘など持ってきていない。その雨は結構長く降っているので、降っている最中に出た人も多いだろうが、それでも傘は差していない。青空が拡がり、雲も白く、当然陽射しもある。
 秋から冬になる季節で、冷たい空気が上空に来ているのかもしれないが、風があるがそれほど寒くはない。やはり陽射しがあるためと、明るいためだろう。
 内田は鞄の中に折りたたみ傘があるので、それを差そうと思ったが、すぐにやみそうなので、開けたファスナーを閉じた。天気予報では晴れ。降水確率はゼロパーセント。この雨は微雨なので、雨量計でもゼロだろう。
 それに衣服も濡れていない。降り出してからまだ数分のためだろうか。それでこの雨は無視することにした。道行く人もそれに近いのではないかと思える。
 所謂日照り雨。天気雨ともいう。お天気が良いのに雨が降っていることだろう。狐の嫁入りともいう。これは欺されないぞ、というよう感じだろうか。晴れているのに雨。どっちだ。
 キツネに化かされたような感じで、これは化かされているのだから、雨が嘘で、晴れが本当。だから、晴れが正解なので、晴れている日と同じと見なす。現に晴れている。陽射しもある。雲も黒くはない。どう見ても晴れだ。だからこの雨だけがおかしい。きっとこれは狐の仕業。化かされないぞ、と思い傘を持っていても差さない。そしてすぐにやむし、差すほどの降りでもない。
 内田の思いと同じなのか、誰一人傘など差さないし、背中に垂れているフードもかぶらない。
 しかし、内田は妙な映像が出てきた。頭の中のイメージだが、狐はいいとしても、嫁入りが気になる。
 昔の嫁入り行列を思い出すが、そんなものは体験したことがないので、時代劇か何かで見たものだろう。馬の背に横座りで花嫁が乗っている。その人の顔が狐だと、狐の嫁入りだが、その狐、何処へ嫁に行くのだろう。新郎も狐だろうか。
 狐は馬に乗れないが、しがみつくことはできるだろう。狐馬というのがあり、狐が馬に乗って走っているようなもの。信憑性のない話に乗るなと言うことだろう。
 狐の嫁入りの狐は顔だけが狐。ではその行列の他の人々はどうか。これも全員狐。または、花嫁だけが狐の映像も出る。しかし角隠しで顔がよく見えないため、狐が乗っていても分かりにくい。だから裃などを着た行列の人達も顔だけが狐の方がインパクトがある。すぐに分かる。
 狡賢い、狡猾な女性を女狐という。どちらにしても狐が出て来る話は胡散臭い。殆どが人を欺す話。
 だから晴れているのに雨は、狐の嫁入りのように、そんなものは存在しないので、欺されたようなものだ。
 内田はそういう晴れているのに雨のとき、必ず狐の花嫁行列を思い浮かべるが、本当に見たら、怖いだろう。
 もし見たなら、何処へ嫁入りへ行くのか、尾行することになりそうだ。
 狐の嫁入りを追いかけて、行方不明になったという話があるかもしれない。
 
   了

 


2016年11月14日

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