小説 川崎サイト

 

魔界の穴


 この世の外の世界。たとえば天国とか地獄とか極楽などがそうだろう。電車でも飛行機でも、ましてや歩いてでは行けない。どの手段でも行けないということは、この世の世界ではないため。
 天界というのは空のことだとしても、これは飛行機で行ける。それ以上はロケットで上がれるが、さらにそれ以上行くと真っ暗な世界になり、空というイメージではなくなる。物理的に行くことはできるが、夜の空になるだろう。
 また、魔界とか魔境などは現実にもありそうな場所だ。少し大袈裟に言ったものかもしれない。
「市場の奥に魔界が?」
「そうです」
「あの伊座市場ですよね」
「そうです、アーケードはまだ残っているでしょ。建物も昔のまま、開いている店はほんの僅か。入り口の立ち食い蕎麦屋は流行っていますが、一歩入り込むともう廃墟」
「いや、まだ全部閉まったわけじゃなく、営業している店もありますよ」
「そうなんですが、ここまで廃れると魔界の蓋が開くのですよ」
「商店街の奥に魔界があるなんて、失礼な話ですよ」
「閑古鳥が飛び回らないだけましです。奥まで行かないと分からない」
「その魔界とは何ですか」
「歯が抜けたようなもので、深い穴が空いたようなものです」
「どのあたりですか」
「市場の中程に一寸した膨らみがあるでしょ。枝分かれというほどでもなく、横へ少しだけ拡張されたところの、その奥です」
「じゃ、肉屋があった場所ですね」
「そうです。壁際の冷蔵庫の奥に穴が開いているのですよ」
「はあ」
「魔界の入り口がポッカリとね」
「中はどうなっているのです」
「そのまま続いています」
「え、何が」
「だから、魔界の道が」
「しかし、肉屋の奥ならそこは公園やマンションですよ。そこへ出るはずですが」
「その道は洞窟です。魔道です。素掘りのトンネルのようなものです」
「じゃ、地下道ですか」
「肉屋の壁から水平に伸びていますが階段もない」
「じゃ場所的には公園やマンションと重なるじゃありませんか」
「だから、魔界なのです。この世のものではありません」
「共有地のような」
「だから、そんな概念はありません。同じ空間じゃないのですから」
「しかし、市場の中に魔界の穴があるって、どういう意味になるのですか」
「意味ねえ。実際には魔物がその穴から出てくる恐れがあります」
「そういえば、この世の者とは思えない人が市場をウロウロしているのを見たことがあります。あれは地獄の小鬼かも」
「それはただの通行人でしょ。それこそ失礼ですよ」
「ああ、はい」
「それで、どうすればいいのですか」
「市場を放置すると、魔界の穴が開く。それだけのことです」
 それを聞いた市場の関係者は肉屋の奥の錆び付いた冷蔵庫を開けて探したが、そんな穴は開いていなかった。
 人はない世界でも作ってしまえるようだ。
 
   了

 



2016年11月20日

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