小説 川崎サイト

 

薄曇り


 薄曇りの日は、頭も薄曇りになる。このときの方がものがよく見えるようで、ぼんやりとした頭のときの方が、大把握しやすいようだ。鋭利な頭のときは一カ所だけを鋭く見ている感じ。
 晴れていると日が当たっている箇所と日陰とのコントラストが強すぎて、暗く沈みすぎたり、明るくて飛んでしまったりする。人の目にはそれだけの明暗比を一度に見ることができないため、交互に見たりする。
 薄曇りのときは風景はさえないが、フラットながらも全体のタッチがよく見える。頭が薄曇りの場合もそうで、ピントは合っているのだが、鮮明ではない。
 頭が薄曇りの人を薄ら馬鹿と呼んだりするが、この薄さにもメリットがある。感度は低いのだが、階調は豊か。良い意味でのんびりとした人なのだ。
 普段からそういう人でも、いざ何かあったとき、ぐんと精度を上げ、明快な判断を下すかもしれない。ずっと薄曇りで休んでいたので、溜が大きい。つまり常に集中力を働かせている人より、久しぶりなので鮮やかに見える。
 ただ、のんびりとしている人は、沈着冷静なわけではなく、単に感受性を抑えているだけのこと。この見分け方が難しい。
 のんびりとした暮らしを望むのなら、感受性のレベルを下げることだ。ただ、それはどちらかというと頭で判断するようなことで、動物的な面では、それを抑えきれないだろう。のんきで、穏やかな人でも、蛇と遭遇すると、ものすごく騒ぐとか。
 頭を常に薄曇り状態にしておこうとしても、これは意識してできることではない。たまに頭が休憩している時期、この薄曇り状態になり、それなりに快かったりする。ただ、単にぼんやりとしているだけのことかもしれないが。
 
   了

 


2016年12月18日

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