小説 川崎サイト

 

平常心


 目覚めたとき、田口は一日が予感できる。毎朝起きたとき、気分が違う。それだけのことだが、ここが大事なようだ。一日の起動は目覚めから、まず意識が起動する必要がある。これがないとまずい。まだ寝ている場合もあるが、そのときはシーンが違う。いきなり何かをしている夢で、布団の中で目を開けたところからは始まらない。これで見分けが付く。それに夢の中での意識というのは曖昧なもので、その意識そのものも夢だったりする。しかし、明らかに自分が乗っている意識もある。これは眠りが浅いのかもしれない。
 さて、目覚めでの一日の予感だが、目覚めの善し悪しでも分かる。これは体調にもよるが、起きたタイミングにもよる。妙な目の覚め方をしたとき、目覚めがよくないこともあるし、また飛び起きるように起きてしまうタイミングもある。これは元気すぎるのか、またはそういうタイミングで起きてしまったためだ。では、何がきっかけで目が覚めるのだろう。音がするとか、妙な寝返りを打ってしまったとか、様々なことが考えられるが、スーと目が覚めることがある。これは前日起きた時間帯に多い。体内に目覚まし時計があるように。
 田口の場合、ほとんどこのタイプの起き方をしているが、その状態でも一日が予感できる。
 これは予報のようなもので、天気予報に近い。いやな用事がある場合は雨。楽しいことがある場合は晴れ。つまりスケジュールを一瞬にして思い出し、いろいろな気分になるだけの話。この一瞬は目を覚ました一瞬に入ってくる。当然その日の用事や、その日からの用事や、今日とは限らないが、この先、やらないといけないことができて、その心づもりとか。
 これは予感でも予想でも何でもなく、昨日までの記憶が動き出しているのだろう。未知なる未来は前日までの状況で導き出される。
 そういう具体的なものとは別に、目覚めが素晴らしいこともある。めくるめく未来が開けてくるような。この場合、特に楽しいことがその先あるわけではない。
 そんな気分のときは、いやなことがある日でもあまり気にならない。それ自体を飲み込んでしまったように。
 これはただ単に活力がみなぎり、元気なためだろう。昨夜食べたものが影響しているわけではないが。
 田口が一番好きな目覚めは、何となく目が覚め、何となく一日を始めることだ。そんなときは面倒な問題や楽しいことでも、何となくやっている。これを平常心と呼んでいるが、なかなかその平常レベルに至ることは希で、上がりすぎたり、下りすぎたりする。そのため、平常が一番難しい。
 
   了

 

 


2016年12月25日

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