小説 川崎サイト

 


 危機感や不安感が人を動かす場合が多い。個々の理由ではなく、その感覚だ。これは感じる程度のことで、あとはその人の論理になる。だからストーリーは人様々だが、似たようなパターンだ。
 さらに不満感や不快感が人を動かす場合もある。不安とか不快とか、結構動物的で、犬や猫でもやっていそうな世界。しかし人も意外とこれがベースになっており、その意味では似たようなもの。
 不幸が人を動かすこともある。共通して言えることは「不」なのだ。ふっと思い浮かべてしまうものや、ふっと脳裏をかすめるもの、論理以前の段階で、それが来る。また論理的なものでも、その最中に、それが来る。
 要するに人は不安定な生き物なので、この「不」がベースではないかと思える。意識というのも動物的な本能に近いレベルでは安定している。動物があまり物思いに耽らないのも、そこへ気が向かないのかもしれない。赤ちゃんが将来のことを考えるようなことはしないだろう。
 この「不」はあらゆるところに付いてまわる。どんなに恵まれた人でも、どんなに上手く行っている人でも。それで完全ということはないし、たとえそれがほぼ完璧でも、今はそうでも先は分からない。不安のタネは尽きない。当然より良いものを望み出すと、今の状態が不満に思えたりする。傍目には非常に良い状態でも。
 住めば都という言葉がある。つまり、どんな状態でも、あまり変わらないということかもしれないが、見るからに苦しそうな場所もあるし、状況もある。これは普通の不幸ではないので別格だろう。奴隷の頃の方が楽だったというのもあるが、これは奴隷根性として、あまり評価は高くない。奴隷でなくても、何かに隷属しているだろう。
 幸福があるから不幸があるわけではないが、幸せではないと思うところの「不」が先立つ。
 それら全てを煩悩とも言うが、「不」を何とかしようとするところからそれは始まるのだが、犬や猫にでも、その煩悩はあるのだろう。ただ、除夜の鐘をついている犬や猫は見たことはないが。
 
   了

 

 


2016年12月28日

小説 川崎サイト