小説 川崎サイト

 

旅立ち計画


「クリスマスの頃なのだがね」
 老人が正月明けに、話し出した。タイミングとしては旬を逸している。しかし、去年のその頃の出来事で、まだ半月も立っていないので、最近のことだ。それでももう遠い過去のように思えてしまう。
「何かありましたか」
「何かをやろうとして忘れてしまった」
「クリスマス停戦とか、休戦とか」
「そんな物騒な話じゃない。それに私は何処とも戦ってはおらん」
「では」
「旅立とうと思った」
「もうお年ですからねえ」
「そうじゃなく、旅行」
「あ、はい」
「それで計画を立てようとしていたのだが、行き先を忘れた。旅先を決めたか決めなかったか、曖昧なままクリスマスになった。そのあと、年末年始は色々と用事があって、旅行どころじゃないから、そのまま放置していた。計画をね。しかもそんな計画をしたことも忘れていたんだ」
「はい」
「そして今頃、落ち着いてきたのか、それを思い出した」
「何処へ行く予定だったのですか」
「あの世への旅立ちじゃないよ」
「それは先ほど確認しました」
「あの夜、思い付いたことまでは記憶しているが、何処だったのかを忘れた。いや、思い出せば出てくるはず。ああ、あそこへ行こうかと、ふっと脳裏に浮かんだ。浮かんだだけでピン留めしなかった。メモらなかった。それで、大事な行き先を忘却した」
「忘却の彼方へ、ですね」
「忘却とは忘れ去ることなり」
「はいはい」
「思い出でも何でもない。まだ行っていないのだからね。しかも行き先さえ分からない。きっと旅行案内のパンフレットにはないような場所だろう。それなら思い出せるが、そうではない」
「クリスマスの頃、見られた夢の中での話ではありませんか」
「そうだろうか」
「はい。夢の中で旅行の計画を立てていたとか」
「それに近いが、それではない」
「クリスマスの頃でしたねえ」
「そうじゃ」
「いつ頃ですか」
「だから、クリスマスの頃」
「時間帯は」
「イブの夜」
「旅立とうと思い立ったきっかけは」
「さあ」
「何か引き金のようなものはありませんか。テレビを見ていて、急に思い付いたとか」
「イブの夜。一度寝た」
「じゃ、やはり」
「トイレで起きた。その戻りに来た」
「来た」
「思い付いた」
「トイレで何かありましたか」
「ない」
「どのタイミングですか」
「だから、トイレから出て、薄暗い廊下を歩いているとき」
「そのとき、来たのですね」
「そうじゃ」
「それが思い出せない?」
「確かに行く場所を思い付いたのじゃが、いつ行こうかと思いながら寝床に入り、そして寝た。翌日はクリスマス。それで、そんなことなど、忘れていた。正月が明けるまで、何かと行事が多くて、今頃やっとそれを思い出したのじゃ」
「それで、まだ思い出せないと」
「そうとも、気になって仕方がない」
「じゃ、今度夜中にトイレに立たれたとき、寝床へ戻られるときに、思い出すかもしれませんよ」
「そうじゃなあ、同じ状況だと思い出せるかもしれん」
「あっ」
「思い出しましたか」
「い、いま、出そうで出なかった」
「あ、はい」
 
   了


2017年1月5日

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