小説 川崎サイト

 

梅干しと味噌の日


 年の瀬が迫った頃、大石は今年、出合った人達のことを思い返す。道ですれ違った人も、出合い頭の人として含まれる。それほど出合いが少ないのだろう。出合いはあっても、一度きりで、二度と合わない人もいる。実際にはこちらの人達の方が多い。
 逆にすれ違う程度の出合い方をしている人とは何年もその関係を続けているが、これは人間関係のうちには入らない。しかし、長く見ている人だ。
 そういうのを思い出し、回想シーンに耽るには、そのタイミングがいる。年の瀬ならいつでも良いわけではなく、それなりの時や場所が必要だ。大石の場合、そのタイミングは大晦日の朝。いつものように朝の用事をしているときで、日常の中。翌日は元旦。その元旦の朝も続けて一年を通しての出来事を思い浮かべる。だから年間物はこの二日。しかも続いている。元旦は新年について思うのだが、まだ目が覚めてから数分も経っていないので、今年のことは何も分からない。全て未知だが、大凡の察しは付く。去年から続いているものが、今年も続くのだと。
 さて、一年を振り返って、色々な人を思い浮かべるのは、それらの人達は自分自身の延長であり、何等かの象徴のように思えるからだ。
 その中には、消えてしまった人もいるが、新しい人もいる。少ない交友関係の大石だが、それでも入れ替わりがある。当然自分から去った場合もある。これは行きつけの店屋、場所へ行かなくなれば、もう二度と合うようなことがないような人々だ。別の場所ですれ違っても、分からなかったりする。
 また例年よりも、頻繁に顔を見る人もいる。当然合う機会が減っている人も。
 これを大石は人間星占いと言っている。交際関係の人達が星座のようなもので、自分という夜空の中で動いている。星の巡り合わせのように、ある星とある星が接近したり、離れたり、また、今年はよく見える星もある。
 人間星占いを大晦日に味噌汁を飲みながら、元旦は梅干しを食べながら人間星占いをやるのが大石の年中行事になっている。
 
   了



2017年1月6日

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