小説 川崎サイト

 

妖怪隠れん坊


 確かに「どうぞ」と言われて、家の中に入り、いつもの廊下を通り、ひと部屋越えて奥の六畳に入ったのだが、妖怪博士の姿がない。
「先生」
 いつもの担当編集者は当然妖怪博士の名を呼ぶ。先生とか、博士とか、毎回呼び方が違うが、決まった規則はない。
「ああ」
 声だけがする。広い家ではない。
 妖怪博士は半畳ほどの開きの押し入れの中で、何やら探していたようだ。玄関で声をかけたとき、ここから「どうぞ」と言ったのだろう。
「探し物ですか」
 開きの押し入れは家の中程にある四畳半の部屋にある。家のど真ん中にあり、日当たりの悪い場所だ。部屋には何もない。ここは応接間として使っているようだが、担当者は入ったことはなかった。いつもは庭に面した奥の六畳で、妖怪博士の居間のようなもの。
「隠れていたのかと思いましたよ」
 捜し物が見付かったのか、いつもの六畳へ移動する。
 妖怪博士はコタツの上に和綴じの本を置く。印刷されたものではなく、肉筆だ。
「何ですか、これは」
「妖怪書」
「ああ」
「江戸時代の暇人が書いたのだろうねえ。結構値段が付いていたらしいが、知人が買ったもので、私は借りて読んでいるだけ」
「何か面白そうな妖怪が載っていましたか」
「隠れん坊という妖怪が不気味だ」
「子供の遊びの隠れん坊ですね」
「隠れている坊やだ」
「坊さんのことじゃないのですか」
「いい年をした僧侶が隠れん坊や鬼ごっこなどせんだろ」
「そうですねえ」
「この本によると、そのタイプの隠れん坊ではなく、隠しん坊のようなもの」
「隠しん坊ですか」
「物をよくなくしたり、何処かに仕舞っていたのだが、忘れてしまい、見当たらないとか、そういうことだ」
「え、どういうことですか」
「失せ物は隠しん坊の仕業じゃ。本では隠れん坊となっているが」
「悪い妖怪ですねえ」
「置いた場所や、仕舞った場所と違う場所に移動させたりするらしい」
「悪戯坊やのようなものですね」
「物を隠す妖怪じゃな」
「なるほど。でも博士」
「何かね」
「どうしてこの本を押し入れから」
「そうなんじゃ、ここで読んでいたのじゃが、何処かへいってしまった。それで他のものを探しているとき、さっきの押し入れから出てきた」
「隠れん坊の仕業ですね」
「まあ、間違って、そんな奥まったところに仕舞ったのだろうがね」
「そうでしょうねえ」
「この隠れん坊、隠すのが得意じゃが、年老いた隠れん坊。これはもう子供じゃない。年寄りだが、そいつは人をも隠すらしい」
「ものじゃなく、人も」
「神隠しの一種に近いが、隠れてしまうのは年寄りが多い」
「はあ」
「お隠れになられたということじゃな。だから、ここに死神が入っておる。まあ、年寄りほど物をなくしたり、仕舞い場所を忘れたりするもの。最後は自分も隠してしまうのだろうねえ」
「それも妖怪の仕業ですか」
「まあ、自然の摂理だろう」
「はい」
 
   了


2017年1月14日

小説 川崎サイト