小説 川崎サイト

 

心にしみいるライブ


 小さな喫茶店で個人でやっている店としては流行っている方だ。その殆どは常連客で、これは個人喫茶では普通だろう。しかし、マスターの人脈が広く、また色々な活動をやっているので、遠くから来る人もいる。個人喫茶としては別格で、ライブハウスになったり、画廊になったり、講演会場になったりもする。狭い店なので、詰め込んでも五十人は無理。
 地方の拠点になっているような店で、ただの喫茶店ではない。
 マスターはある日、音楽を聴いていた。静かな曲で、何か感じるものがあった。曲はメールの添付ファイルで、メール本文には、この店でライブをやりたいというもの。住所を見ると、それなりに遠い。
 どうも一人でやっているミュージシャンらしく、飛び込みのようなもの。しかし、その一曲を聴いただけで、マスターはすぐにOKを出した。
 そして当日現れたのは普通の青年で、ウクレレほどのリュートを持って来ただけ。リュートは音がよく響き、電気でも入っているような音がするので、音響装置はいらないとか。当然狭い店なので、マイクなども必要ではない。
 この青年、そのリュートでエレキ音を鳴らすのではなく、琴のような音色。マスターの琴線に触れたのもそこだ。
 ライブは夜半から始まり、そして終わった。
「すみませんねえ」
「いえいえ」
「おかしいですねえ、告知はかなり前からしていたのですが」
「いえいえ」
 青年はネット上にも曲を公開しているし、動画サイトにも上げている。当然ファンもいるはず。
 マスターは音楽関係にも詳しく、ミュージシャンやスタッフとの付き合いもある。しかし、その青年についての情報は何も知らない。ものすごい数のミュージシャンがいるので、当然だろう。
 窓の向こうに、いつ降り出したのか雪。この地方にしては珍しい。暖房を効かせているのだが、冷え込んできた。
「お疲れでしょ。アツアツのコーヒーでも」
「はい」
「ケーキもありますから、選んで下さい」
「はい、有り難うございます」
「しかし」
「はい」
「一人も客が来なかったのは、初めてです」
「あ、はい。僕はかなりあります」
「あ、そうなの。告知とかは」
「しませんでした」
「ネット上でのやり取りとかは?」
「まったくしていません」
「あ、そうですか」
「ご迷惑をかけました」
「いえいえ、静かで、良い曲でした」
「はい」
「お食事は?」
「もう、出ます」
「何か作りましょうか」
「いえ、これ以上ご迷惑を」
「そうですか」
「はい」
「しかし」
「はい」
「心にしみいるライブでしたよ」
「はい、しみました」
  

   了


2017年1月20日

小説 川崎サイト