小説 川崎サイト

 

野中の一軒家


「野中の一軒家って、見たことありますか」
「野中さんの家」
「そうじゃなく、ポツンと野の中に一軒だけ建っている家です」
「さあ、長く生きてきて、色々な場所へ行きましたが、見たことはありませんなあ。あったかもしれないが、見ていない。小屋なら田んぼの真ん中にあったりしますが、あれは家じゃない。それに野ですか。野原ですね。そんなところに行く機会がない。近所にも野原などないですよ。平野なら家が建ち並び、家がなくても田圃が続いている。農家はありますが、一軒家じゃない」
「やはり、幻の家ですねえ」
「野っ原が続いてるような場所は確かにありますよ。湿地とかね。また牧草地のようなもの。または山を焼いて、原っぱになっていたり。そういうところに建っている家って、ただの家じゃないでしょ」
「それほど広い野じゃなく、少しだけ、他の家々とは離れたところにあるような」
「はいはい、それなら見たことはありますよ。周囲に家がない」
「ありましたか」
「ありましたねえ。町の外れの一軒家です。変わり者が住んでいたとか、その程度です。私が見たのは画家のアトリエです。遠くから見ただけなので、よく分かりませんが、半分洋館のような家でした」
「僕が探しているのは、草が生い茂る野原です。そこにポツンとある一軒家」
「そのアトリエの回りは雑木林でしたなあ。山裾なので、草だけが生えているような場所じゃなかった。それで、何ですか、その野中の一軒家が、どうかしましたか」
「そういうところに住んでみたいのです」
「おや、まだお若いのに。それに不便でしょ。まあ、それ以前にそんな草原が国内では無理かもしれませんなあ。無人島に近い島ならあるかもしれませんがね。意外と小さな島なのに広々としていますよ」
「島じゃちょっとイメージが違います」
「どうして、そんな家に住みたいのですかな」
「野中の一軒家に住んでいるというのが言いたいので」
「それなら、野中の野の解釈を少し変えれば、結構あるんじゃないですか」
「そうですねえ」
「しかし、本当の理由は何ですか。何か秘密めいたことをしたいとか。しかし、逆に目立ちますよ。一軒しかないのですから」
「そうですねえ。ちょっと思い付いただけで」
「ああ、そうですか」
 
   了



2017年1月23日

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