小説 川崎サイト

 

彼を見た


「旧友を見たのですがね、まだ生きていた。それで確かめようと……」
「見られたのでしょ」
「見ましたが自転車で走っている後ろ姿です。彼は車道の左。私は車道の右。車道といっても狭い道でして、車も殆ど通っていません。だから、向こう岸がよく見えます。私を追い抜いて行きました。そのとき横顔を見れば確認が取れたのですがね。後ろ姿を見て、ああ彼だと分かったのです。背格好がそっくり、まあ、似たような人はいっぱいいますからね。それだけでは彼だと特定できない」
「ではどうして、その人だと分かったのですか」
「まずは背の高さ。彼は高い方です。そしてほっそりとしています。これだけじゃ気付きません。次は帽子です。これは丸い縁の円盤形。寒いのでニット帽が多いのに、耳が隠れない普通の帽子です。彼は真冬でもそれをかぶっています。そして耳が大きい。その耳の形、頭の形が彼に似ています。それだけじゃない。着ているものです。安っぽい防寒ジャケット、これは丈が長めのセミコートのような。これも彼はよく着ていた。色も茶色。彼の色です。ズボンはハトロン紙色で、少し薄い。これもよく見ました。そして靴。これは運動靴ではなく、カジュアルな革靴です。さらに決め手は鞄です。茶色の中ぐらいの大きさの横タイプのショルダーバッグ。彼は鞄をよく代えますが、このタイプが多い。リュックとかじゃなく、ポケットの多いダブッとした布の鞄です。なぜならカメラを入れているので、その方が取り出しやすい。さらに自転車の前籠はありますが、後ろ籠がない。これも彼のスタイルです。まあ、前籠は最初から付いていますから、外す必要もないのでしょう。しかし、鞄を前籠に入れないで肩からぶら下げたまま走っています。彼のスタイルです」
「ほう」
「そして前籠を見ると、レジ袋。何か買って戻るところなのか、これから行くところなのかは分かりません。ここが謎でした」
「謎」
「彼の家はもう通過しているのです。だから出掛けるにしても、その方角が謎です。家に戻るのではなく、出掛けるところにしてはレジ袋が解せません。誰かを訪問するのでしょうか」
「知りません」
「彼は入退院を繰り返しています。だから見かけないときがありまして、これは入院中でしょう。最近見かけないので、入院中か、もしかして……と思ったのですが、きっと退院したのでしょうねえ。しかし、何処へ行くのでしょう。それよりも……」
「何でしょう」
「生きているのでしょうか」
「え」
「それが心配になり、急いで向こう岸の歩道側へ移動し、あとを付けました。少し距離が開いてしまいましたが、それほど早くないようなので、すぐに追い付くはず。ちょうど信号がありましてね。そこで信号待ちをしているとき、顔を見よと思いました。信号は青です。しかし、そこへ来た頃には赤になっているはずです。ところが彼はスピードを上げて青のうちに渡ろうとしています。そのスピードがかなり早いので、私は引き離されましたよ。そして彼の前方から人が歩いて来ました。その人はさっと脇に身を寄せ、彼も横に上手く避けました。そして一気に渡りました。これで追跡は失敗です。私が信号待ちをしている間に、彼の姿は遙か彼方です」
「じゃあ、その人だと最後まで確認できなかったわけですね」
「それ以前に、彼は物理的な存在だと確認できました。信号が赤だと、突っ込めば車とぶつかります。また人も上手く避けた。彼が物体だからです。幽霊じゃない。そして、私の錯覚ではない。現実の物理学のルール内です」
「それで終わりですか」
「信号の向こうは見晴らしの良い場所でして。彼は信号を渡り、次の角で左側の川沿いの道を走っていました。建物が邪魔をして、川沿いの道をかなり塞いでいますが、その隙間を行く彼の姿がありました。横顔が見られるはずなのですが、遠いので無理です。私は彼が何処へ向かうのか、それがまだ気になり、青になってから急いで渡り、彼が曲がった道まで出ましたが、川が流れているだけで、彼はもう流れから消えていました」
「はい」
「その川の先に大きな総合病院があります。他にこれといった建物はありません。また、彼にはその方面での知り合いはいないはずです」
「要するに似たような人が買い物をして、家に戻るところだったのでしょ」
「はあ」
「そちらの方が辻褄が合いますよ。川沿いの道で消えたのは、家に入ったのでしょ」
「はあ」
「何か他に?」
「私だけが見える幽霊ではなく、誰にでも見える幽霊だったりして」
「そちらの方が説明がうんとうんと難しくなります」
「そ、そうですねえ」
「まあ、心配なら彼の家を訪ねたらいいのですよ」
「そうですねえ」
 
   了

 


2017年2月11日

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