小説 川崎サイト



仙人

川崎ゆきお



 仙境は本当にあるのかどうかとかを問題にする機会は稀だ。仙人希望者がいないためかもしれない。職業選択上にもそれはないし、学校での進路指導にもない。指導する職員もいないだろう。
 前畑が仙人に憧れるようになったのも稀な機会があったためだ。そんな機会など滅多にあるわけではない。同級生が誘うこともないし、自治会からの誘いもない。
 前畑の自発的選択だった。
「仙人?」
「なりたいと思います」
 進路指導の山岡は面食らったが、面白味の分かる教師だった。
「ほほう、のんきなこと、考えてるんだね」
「のんきじゃ成れないと思います。仙人の修行って厳しそうですし」
「どうして仙人なんだ?」
「近くの寺に、小さな洞窟があって、盛り土の中なんですけど、ちょっとした洞窟で、一メートルほどだから深くないです。そこに石像があって、子供のころから知ってるんですが、ずっとあるんです。最近ほとんど行ってなかったんですけど、桜が咲いた日、自転車で走ってたら、それ思い出して、見つけて……」
「もう少し簡潔に」
「あ、はい。これって導きかなって思ったので、それを言いたかったんです」
「で、その石像が何だって?」
「仙人なんですよ。顎彦翁」
「仙人の石像か、それは珍しいかもしれんなあ、沢田先生が詳しいよ。郷土史やってるから」
「図書館で調べました。載ってませんでした」
「聞いてみなさいよ。沢田先生に。知っておられるかもしれないよ」
 前畑は昼休み、職員室で沢田に会い、その話をした。
「学校始まって以来だ。顎彦翁を話題にする生徒は」
「仙人なんでしょ?」
「石碑を読んだのか」
「はい」
「あそこは昔、修行の場だったようでな。あの室に座し、瞑想していたようじゃよ。江戸の終わり頃の話だ」
「僕もそんな人になりたいのですが」
 沢田は食べかけの玄米食パンを齧った。
 食べながら前畑をギョロギョロ見回している。
「ほう」
 沢田はクコ茶を口に含む。
「仙人になりたいです」
 沢田は話の分かる生徒がやっと現れたことを、大層喜んだ。
「明日から毎日来なさい。貸すべき本が一杯ある」
 
   了
 
 
 



          2007年4月11日
 

 

 

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