小説 川崎サイト

 

気分の履歴


 すぐに気移りする人がいる。実は何でもいいのだろう。気の向くままの気は、気分。この気分が曲者で、気分の発生元は分かりにくい。それを突き止めたとしても、当たっていなかったする。
 今の気分は少し前のことから来ている。いきなり今の気分は有り得ないが、急に気分が悪くなることもある。これは気の持ち方ではなく、具体的に起こっていることなので、生理的なものだろう。その生理現象が気分として出る。先に気分があるわけではない。
 その人が綿々と付き合っている気分の履歴がある。気分の変わり様をそれなりに覚えている。これは気分の歴史だ。そういうところから押し出されている場合もあるが、もっと目先のことだろう。
 目先を変えるのは気分を変えることでもあるのだが、その目先を見ていた時期が問題。昨日と今日とではそれほど違わないが、一週間前の目先と一ヶ月前の目先とは違う。それが一年十年になると、同じ人が見ていた目先だとは思えないほど違っていたりする。
 過去があるから今の気分があるのだが、この過去も曲者で、その中身は単純なデータではない。意識の照らしようによっても違ってくる。
 自分史は複数できる。歴史は編者でどうとでもなるためだ。逆になったりする。そのため過去から押し出された今の気分というのも怪しいものだ。
 気分が動くのは過去へではなく、未来に向かってだろう。過去へは戻れないのだから、そこで何かを仕掛けても変わらない。解釈だけは変えられるが。
 気になるのは未来。その未来を見据えた気分となる。こういう未来より、こっちの未来がいいとか。そして気分の良さそうな方を選んだりするが、これも単純な話ではない。敢えて苦しい未来を選んだ場合は、その先のさらなる未来でいいことがあるためだろうか。
 未来学者は世の中の未来を考えるが、未来そのものについて考えるのは、別の学者だ。つまり未来とは何だろうという話になる。未来がどうなるのかの話ではなく。
 それを踏まえた上で、気の変わりやすい人とは、どの未来でも対応できる人かもしれない。または未来よりも、今の気分をどうにかしたいと、目先のことで動いている人。軸がなく、常にぶれている人。成り行き任せで進んでいる人。
 と、悪い面ばかりになるが、実はそうではなく、人の意識はその人でも実はよく分からないのだ。意識を整理しないで正直に実行している人かもしれない。
 また意識に上がらない直感的なもの、匂いのようなもので非論理的に動いているのだろう。
 気の変わりやすい人がいるのは、つぶさに感じているからだ。逆にいえば見せてしまっている。そこを隠すのが下手な人が、気の変わりやすい人となる。
 本当はころころと気が変わり、方針も変わっているのだが、表に出さないだけ。また、どうしても変わり具合が分かってしまうときは、上手くすり替えるのだろう。
 人というのは思っているほど安定していない。これは二本足で立っているため、立ちっぱなしより歩いている方が楽なはず。要するに常にフラフラしているので動くことでバラスを取っている。
 というレポートを竹田は提出した。まだ草案だ。
「また妙なことをひねくり回しているねえ、竹田君」
「草案ですから、思う付くまま」
「いいでしょ、続きを書きなさい」
「いいのすか、こんなので」
「まあね」
 この先生、今日はいいことでもあったのか、気分がいいようだ。
 
   了
 

 


2017年2月14日

小説 川崎サイト