小説 川崎サイト

 

傘を差す


 朝に降っていた雨が午後から雪になる。この雪は積もらない雪で、さっと溶けてしまう。久住は傘を差さずに出かけたのだが、衣服に付いた瞬間、水に変わるため、傘を広げようとしたが、閉じているスナップがオスメスとも錆びており、それを掴む紐も切れているので、片手では堅くて外せない。強く引っ張れば外れるのだが、爪で引っ張ることになる。手はすでに悴み始めているので、その状態で力を入れるとろくなことはない。麻痺して痛さが分からないほどではないが。
 それで両手で丁寧に皮でもむくようにプッチン式の留め金を外す。非常に細かい話だ。そして傘を差すと雪がやみだす、というのもよくあるが、降りは激しくなってきた。これはいいタイミングで差したので悪くはない。
 この地方で雪が降るのは希で、真冬でも雨が多い。しかも朝の一番寒い頃ではなく、昼の気温が上がる頃に雨から雪に変わっている。そんなことが過去にあったのだろうかと久住は思い出そうとするのだが、ない。そのため、これは初めての体験だが、そんな大げさな話ではなく、人生にも関わらず、また学術的な意味もない。観測史上初めてのことでもないはず。久住が覚えていないだけ、または気付かない場所にいたかだ。
 どちらにしても気にするようなことでもないので、そのまま駅までの道を行く。本来はそこから先の用件を気にすべきなのだが、いつもの用件であり、いつも通りに終わるだろう。特に変わったことやプレッシャーのかかることをしに行くわけではないので、傘の開き方を気にしたのだろう。その傘はレバーを押せば自動的に開く。幸い錆びていないので、途中で引っかからない。これが引っかかり出すと買い換え時だろう。錆びているのはどうやら留め金のスナップだけのようだ。しかし、何カ所かに穴が開いている。雨漏りするわけではないので、問題はないが。
 こういった日常の些細なことが気になるのは平和なときで、逆にとんでもない問題が起こっているとき、目を逸らすため、些細事に走ることもある。久住はそのタイプではないので、平穏な暮らしが続いているようだ。
 しかし久住が平穏でも、それに絡んでくる人が平穏ではない人だとすれば、とんだとばっちりを受けたり、妙なことに巻き込まれ、平穏ではいられなくなる。
 当然、今、歩いている道で、いきなり車が突っ込んでくれば、一瞬で平穏は崩れる。脆いものだ。
 雪は降り続いているが積もらない。全部溶けて水になる。
「溶けて流れりゃみな同じ」と、どこからで聴いたような歌謡曲の歌詞が出る。
 すぐに溶ける雪もあれば、根雪となって長く残る雪もある。確かに溶けてしまえばただの水だが、ひと季節かかるだろう。
 久住は無事、駅に着き、そこから都心へ出て、用件を済ませ、無事に帰ってきた。その頃は雪は雨に変わっている。
 
   了

 


2017年2月15日

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