小説 川崎サイト

 

怖いもの知ってる


 怖いもの知らずの人より、怖いものを多く知っている人の方が怖い。当然だろう。より怖いものがあることを知っているので、怖いものだらけになる。つまり「怖いもの知ってる」状態になってからの人間は、怖いものをどう処理するかを考えるようになる。動物は深く考えなくても、常に警戒し、怖いことにならないように気を配っている。ある程度意志のある動物に限られるが。
 しかし、怖いもの封じが過度になると過激になり、怖いものを知ってる人が一番怖い存在になる。
 だからそれに比べ、怖いもの知らずの人は大人しいものだ。
 楽しさに反応するより、恐怖に対しての反応の方が強い。これは生命に関わるだけではなく、暮らしにも、また先々のことにも関係するためだろう。オバケが出た程度の怖さは大人しい。それよりもオバケが出ると思っている人の方が怖い。お化けが出た怖さより、それを見て叫んでいる人の方が怖かったりする。
 世の中には怖い人がいる。そこまで考えているのかと思うほど、恐ろしいことを思っている。その恐れが怖いのではなく、そんなことを想像するその人自身が一番怖い。
 とんでもないことが現実に起こることは滅多にない。特に有り得ないような想像では、まずは起こらないだろう。しかし、それでは思っただけ損ということになるのか、または悪い想像でも、それが当たっていることを確かめたいわけではないが、怖い想像ばかりしている人ほど、悪いことに遭遇しやすかったりする。まさか引っ張り込んでいるわけではないだろうが。
「いますねえ、怖い人」
「そこまで考えるか、という人です」
「不安なんでしょうねえ。心配性」
「まあ、誰だってそんなものですが、それが過度になると、その人自身が怖い存在になる」
「そういう怖い人とは付き合えませんねえ」
「そうです。そこまで行くと過敏すぎる小動物ですよ」
「はい」
「ところで、この案件、どうします」
「色々怖い噂がありますが」
「まあ、大丈夫なんじゃないですか」
「少し心配ですが」
「それを言い出すと、大丈夫なことでも危なさはあるものです。安全なものなど何処にもありませんよ」
「そうですねえ。取り越し苦労かも」
「じゃ、契約成立ですねえ」
「そのように計らいます」
 しかし、いつまで立っても契約は結ばれなかった。
 
   了



2017年2月21日

小説 川崎サイト