小説 川崎サイト

 

オテフリ


「悪いものを見た。見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。いや、そうではなく、そんなものが見えるのがおかしい」
「どうかされましたか」
「どうかしたので相談に来た」
「何を見られたのですか」
「私はもう年寄りで、何処にも行かない人になってしまった」
「はあ」
「町に出る用事がなくなったのです」
「外出の機会が少ないと」
「外には出ますよ。だが、近所だ」
「それよりも何を見られたのですか」
「夕日が町を染める頃、西日が真横から照らすためか、良い角度で光が当たり、それが暖かい色目でよく映える。木々も家々もな」
「それを見られたのですか」
「違います。そういうのを見ながら、いつもの散歩コースを歩いていました。踏切がありましてな。小さな支線ですが、そこから町に出られる。さらに本線に乗り換えれば、大都会まで行けます。私は若い頃からずっと毎日それに乗っていましたよ。仕事でも遊びでも。しかし、もうそんな用事はなくなった。今、大都会へ出れば浦島太郎です。その手前の町に出ても、似たようなもの。その支線の終点の小さな町ですが、この辺りじゃ一番賑やかな場所。そこへ行く用事も滅多にないので、その電車に乗る機会もない。鉄道は走っておりますが、渡るだけ」
「それで何を見られたのですか」
「踏切がカランコロン鳴ってまして、閉まっています。そこへ西日を受けた電車が来ます。反射して輝いて見えます。それが踏切を通過するとき」
「見られたのですね。何かを」
「これはまずいものを見たと、今も思っております」
「で、何を見られたのですか」
「満員」
「はあ」
「この時間帯、ラッシュにはまだ早い。それに町へ向かう電車なのでね。そちらはすいているはず。いつもガラガラです」
「満員電車を見られたのですか」
「それだけでも何かと思いますが、乗っている人たちが全員年寄り。しかもかなりの年寄り。私より上の人が多いでしょう。それらの老人がどの車両にもびっしり詰め込まれています。寿司詰めです。箱寿司でしょうなあ。バッテラとか」
「寿司の話はいいのですが、どうしてそんなに大勢のお年寄りが」
「だから、有り得ないものを見たわけです」
「霊柩車両じゃないでしょうねえ」
「そんな車両はないでしょ」
「そうですねえ」
「これは何だと思われます」
「そういう幻覚をご覧になられたので、心配されておられるのですね」
「やはり幻覚ですか」
「幻視です」
「そうでしょうねえ。有り得ませんものねえ」
「有り得ません」
「そして、最後尾の車両の窓から誰かが手を振っているのです。ドアの窓です。振るというより、窓に手のひらを当てているのでしょうか。押されたとき踏ん張れるように。しかし、明らかに手のひらだけですが、私に向けて振っているのです」
「はい」
「その老人は、私でした」
「あ、そう」
「これは何でしょう」
「あ、そうですか。はいはい」
「何か心当たりでも」
「オテフリという妖怪の仕業です」
「はあ」
「その満員電車も妖怪の術です」
「あなた、おかしいんじゃないですか」
「え」
「病院で見てもらいなさい」
「あ、はい」
 
   了




2017年3月17日

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